全ての人は何かしらの少数者であり、その認識さえできたら人生のパフォーマンスは高まる
人間は誰しもがコンプレックスを持っており、それは普通のサラリーマンでも、
芸能界で活躍する女優でも、小学生の子供でも、何かしらの悩みを持っている。
コンプレックスを持ちたくない、という人は多いと思うし、
実際コンプレックスを持たない方法はとっても簡単である。
それは、人と自分を比較しないことだ。
なぜなら、多くのコンプレックスは他人との比較から生まれるからだ。
あの人よりも自分は貧しい、あの人よりも自分はブサイク、
人とのコミュニケーションが友達よりも苦手、、、
でも人と比較しないことは難しい。だって人間の脳みそは、社会的に弱い立場やマイノリティな人たちを批判することを快感と感じる機能が備わっているし、
その快感機能を満足させようと、常に五感が様々な情報を集めてしまうからだ。
そしてこのコンプレックスは、それ自体がマイノリティであればあるほど、
より強い悲しみを感じてしまう。私だけみんなと全然違う、という感覚だろうか。
例えば、人前でのプレゼン苦手意識を持つ人は、普通の日本企業ではプレゼンが得意な人の方が少ないから、そこまで強いコンプレックスを感じないが、アメリカの自分発信大好き社会においてはより強くコンプレックスを感じるかもしれない。
また、例えば体に障害を抱える人は、障害者施設だけで暮らしているならそんなにコンプレックスを感じないが、健常者の多い実社会では非常にコンプレックスを感じてしまうだろう。
そもそもなぜ少数者であることが強くコンプレックスに感じてしまうかというと、
それは古くから少数者は批判の対象であったからだ。
過去、人間社会は家族があり、そこから村、そして町、都市、国、とどんどん
コミュニティを広げ、安定した社会を作り、お互いがお互いを支えあうことで
発展し、生存してきた。
そこで人間を効率的に生存させるためには、できれば皆が同じ性質、属性である方がコミュニティ運営は統率が取れてうまく機能し、生存確率は高まった。
一方で、そのコミュニティに明らかに周囲と違う人間、例えば残虐な人間やサボりぐせのある人間、一人で勝手に行動する人間がいたら、コミュニティの運営がうまくいかないので、そんな人間は排除する必要がある。
だから、人間の脳はそういう人間を批判し排除しやすいように進化した、つまり、
そう言う人間を批判し排除することに快感を感じるように設計されてしまった。
で、この脳の特性はもちろん現代の人類にも引き継がれており、
芸能人の不倫や企業の少し目だった行為でネットはすぐ炎上し、TVニュースは連日放送を繰り返す。
弱い人を叩く行為は最高に快感であるため、多くの人が辞められないのだ。
ところが、これまでの批判は目に見えてわかりやすいマイノリティな人を叩いていた。
むしろわかりやすいマイノリティで良かったのだ。
なぜなら生存確率に大きく影響を与えるのはわかりやすいマイノリティであったからだ。
しかし、最近、ネット社会により批判対象となるマイノリティレベルが
かなり細かくなっている傾向がある。
例えば、勤務時間中にお弁当を買い出していた職員が厳格処分されたり、
ある歌手の歌のタイトルが軍歌、だと言われたり、
そこまで酷いですか?と言う内容に対する批判が増えてる傾向がある。
でもこれは人間の脳にとっては普通のことである。
例えば家電市場も一昔前の画一的なニーズと比べ、現代は多様な属性の人たちの様々な特殊ニーズによってニーズが細分化されている。
同じく人の批判も同じようにどんどん際限を知らず拡大していくものなのだ。
でもちょっと待ってくれ、これが進むと、何が起こるのか、そう、あらゆる人が批判対象になってしまうではないか。
なぜなら全ての人間は何かしらの少数者であるからだ。
めちゃめちゃ足が臭い人、もみあげの長さが左右違う人、特殊な趣味を持つ人、
インドア派でもなくアウトドア派でもない中間な人、子育ては好きだけれども社会でも活躍したい女性、
みんな何かしらの点で少数者であり、
それは自分の誇れる個性でもある。
そして最近聞く「好きなことを仕事にしろ」と言うのも、この自分の個性を生かした特殊な市場を作り上げることで、これは社会的によしとされている。
でも、社会の批判のエントロピーは際限なく増え続ける。
この相矛盾する傾向が重なる社会において我々に求められることはなんなのか?
それは、「自分も何かしらの少数者であること」を認識することだ。
そしてその事実をしっかり見据え、それは強さにも弱さにもなることを感じること。
そうすると、
コンプレックスを感じることが社会のマジョリティを認識することにつながるし、
人と比べてしまうことは自分の強さを探すことにも繋がるし、
自分も少数者であることが認識できたら、人を批判する気持ちもなくなってくる。
たったこんなことだけど、こんなことが日々の意識を変えて、行動を高めて、
価値ある人生に変化させることができると、個人的に思うわけですよ。
だいぶ文章重めですが、今日はこんなところで。