日々の思考の積み重ね

家電メーカー企画マンの独り言ブログ

「君の名は」がヒットした理由

正月に「君の名は」が地上波でやっていた。

自分は映画館で1回見ていたが、2回目であるこの放送もかなり楽しむことができた。

と言うか、なんか映画館で見たときよりも面白くない?と思ってしまった。

2回目にも関わらず僕の心をドキドキさせ、その伏線の多さや映像の美しさ、

声優の声の抑揚などなど、染み出してくる面白さがたくさんある。

これは巨匠宮崎駿ジブリシリーズを見ている時と同じ感覚であった。

毎回ジブリ金曜ロードショーで見るとついつい面白く最後まで見てしまう、

あの感覚だ。

 

そして、面白いことに、僕は「君の名は」を録画していたのが、

今日まで繰り返し、なんと5回も見てしまっていた。

わずか一週間で5回という圧倒的気持ち悪さはさることながら、 

まあなぜこんなに見たかというと、勿論映画自体が面白い、というのもあるが、

なぜこれほどまでに面白いのか、ということを分析したかったからだ。

 

そしてこの面白さの源泉は、「時間軸における情報量の設定がうまい」

これに尽きると感じた。

もう少し詳しくいうと、

「短い時間軸の中で見る人の感情のアップダウンを起こすコンテンツ量(映像、ストーリー)の設定が絶妙にうまい」である。

 

 

一個具体例をあげると、映画の序盤で二人が現実世界で本当に入れ替わっていることが発覚し、お互いの生活の苦労が描かれるシーンがある。

この場面は有名な前々前世が流れるシーンであり、映画としては序盤なんで観客をここで一気に引き込む必要がある。

時間でいうとこのシーンはわずか5分くらいしかないが、この五分間の間に大きなアップダウンが二回ある。

この五分の間、前半部分は入れ替わってることでお互いの不便な描写を描いている、

例えばトイレに困ったり、みつはの組紐に苦労したり、東京で道に迷ったりなど。

 

しかし後半はお互いが入れ替わった生活を何気に楽しんでいる、という描写に変わっている。このわずか短い時間の間に観客は

「二人は苦労をしてるな〜心配!」というネガティブな感情とそのあと、

「お!なんだかんだ上手くいきそう?」というポジティブな感情を行き来することに

なる。つまらない映画はだらだらと同じようなテンポで進んでしまうが、

この映画は非常に短い時間で見る人の感情の起伏を作っているのだ。

ちなみにラストシーンの二人が階段で出会い、一瞬すれ違いそうになりながらも

瀧が声をかけるシーンにもアップダウンが行われている。

 

ここでハッと思ったのだが、これは感動するプレゼンの条件と合致している。

キング牧師スティーブ・ジョブズのプレゼンがなぜあれほど感動するのか?

の理論をまとめた本に書いてあったのだが、彼らのプレゼンは

現実の不満⇆理想の世界

 の説明を何度も行き来しており、それゆえ聴く人はプレゼンに引き込まれていく。

 

 

「君の名は」もこのプレゼンの理論に則っており、さらに映画の起承転結全てのシーンにおいてこの理論通り、感情の起伏を起こし続けている。

それだけコンテンツ量とその設計がうまいのだ。

 

さらにこの情報量を生み出すためには、映画のストーリーやテーマも重要である。

君の名は、はSF系ファンタジーとヒューマンドラマ(ラブロマンス)が合わさってる。

たいていの映画はどっちか一個に偏っているが、君の名はほぼ比率が50:50くらいだ。

 

なので

SF面での感情の起伏:隕石が落ちて村が滅びる!と、

ヒューマンドラマ:二人は出会えるのか?ドキドキ、

という二つの側面で感情の起伏を作ることができるので

普通のドラマの2倍ドキドキできるわけだ。

 

多分普通の映画監督はこの比率をどちらかに偏らせるのだと思う。

なぜかというとその方がストーリーを作りやすいからだ。

例えばクソ映画であったテラフォーマーズ、あれなんかはSF:ヒューマン=90:10である。あの映画はああいう映画だから良いが普通の映画はあんな感じでどっちかに

偏っており、逆に中途半端なヒューマン性があったりするから、興ざめしてしまう。

 

今までの常識にとらわれずチャレンジした新海監督の心意気とさらにそれを絶妙な流れにまとめ上げた手腕はあっぱれである。

 

そう結論を言うと

コンテンツ量が多いため、短い範囲で見る人と感情の起伏を作っているから、

そしてそれを織り成すストーリーの構成要素がSFとヒューマンドラマが50:50で織り合わさっているため、二倍ドキドキできること

 

だということなのだ。

ところで海外では

your nameって映画名が表記されてるらしいが、いいよね、このシンプルな感じ

祖父の話 昭和の起業家

いつか書こうと思っていた祖父の話。

現在齢95歳だが、今も元気で過ごしている。

かなり耳は遠いが、戦争を生き抜いてきただけあり、足腰はしっかりで、

未だに僕と会うたびに仕事の話を楽しそうに聞いてくる。

 

祖父は戦争時代、多くの軍人が敵兵にやられる、もしくは病気や餓死で亡くなった

陸軍であったが、その中でも通信隊というポジションであったため、

比較的リスクが低い戦場で戦うことが多かったらしい。

なぜ祖父が通信隊に入れたかというと、軍に入隊した際、

「この中で電気系の知識があるものはいるか?」と言われた時に咄嗟に手を挙げたためらしい。

祖父にこの話を聞いていると、電気の知識なんてバイトでかじった程度しかなかったらしいが、直感的に通信隊の方が良い、と感じて志望したらしいのだ。

結局この時の判断で祖父はリスクを回避しながら戦えたらしく、改めて咄嗟の決断力と

行動力が大事である、と感じる次第である。

 

 

祖父は20代の前半数年を戦争という熾烈な体験を行い、命からがら戦争から帰ってきたあと、住友系の金属メーカーで少し働き、その後会社を興した。

僕はもう何百回と祖父の戦争話は聞いているが、祖父の起業話は数十回しか聞いたとがない 笑

おそらく戦争の方がインパクトが強すぎて、起業して会社を興した話は、まあそれなり、というこのなのかもしれない。

 

戦争話もかなり面白いのだが、なかなかこの起業話も面白い。

 

 

 

 

 

 

祖父はもともと香川の漁師の生まれであった。

香川の漁師は昔は栄えていたらしいが、製紙工場の影響で海が汚れ、

漁獲量が減ったために、職として続けて行くのは厳しくなってきた。

そこで香川ではもうやってられん、ということで戦前から岡山に移り住んだのだ。

しかし、戦争が始まってしまい、何年か死ぬような思いを経験し、

日本に帰国後、当時技術スキルがあったため、金属メーカーで働き始めた。

しかし、しばらくして祖父のお兄さんから会社を起こさないかという依頼が持ち込まれた。

 

何の会社か?

それは「ジーパン」であった。

当時ジーパンなんてものは??であった

ジーパンはアメリカではポピュラーな履物で、これから日本にも確実に普及する。とのこと。

そんな未来が祖父にも見えたのだろうか、祖父は会社を辞めて、兄弟3人でジーパン会社を興した。

 

 

 

しかし戦後はとにかく物資がなく、正規のルートではジーパンを作るための布を得ることができなかった。

そこで闇市にいき布を入手するのだが、岡山の闇市ではその布は入手することができず、少し離れた闇市まで機関車で買いに行っていたらしい。

しかし、普通に布を入手して機関車に乗ったら、岡山に到着後検問で引っかかるから、

機関車の乗車途中で川辺に購入した布を投げ捨てるのだ。

 

それを弟の祖父が拾って、すぐ家に持って帰り、奥さんが一晩中ジーパンを縫い続けた。

当時は材料を得るためだけでも必死だったのだ。

そして、その作ったジーパンを街に持って行くと飛ぶように売れたらしい。

何より着るものがそもそもなかった時代らしいから、それは圧倒的な需要であったとか。

作れば作るだけ、売れる、これは何ともたまらない。

 

しかし、事業が乗り始めると今度は警察に目をつけられた。

ジーパンを売っている祖父が捕まり、

「どこで布を入手したか吐け!」

と取り調べにあった。祖父はもし口を割ったら、ジーパンを作ることができないと、

絶対に口を割らなかったらしいが、そのおかげで警官にボコボコにされ血だらけになったらしい。

まあ昭和の時代だからがなかなか壮絶である。

そんなこんなことがたくさんあったが、なんとか事業を続けることができ、次第に店舗を開設したり、工場を作ったり、さらに事業は成長していく。

そして時代は高度経済成長に入り、欧米化がますます進み、祖父のジーパン会社は時代を謳歌する。

祖父が社長を引退後、後継者が事業を失敗し会社は傾くも、何とか今も生き残っている老舗ブランドである。

 

 

 

 

祖父は未だにいろんなことに興味しんしんで、

病院に行って見ず知らずの女性が横に座った時に、

そのジーパンの柄があまりにもおしゃれで、どこでそれを買ったのか?と食いついたり、タッパーをみじん切りにして処分できる商品を開発してほしいと僕に頼んできたり、年齢を重ねても常に好奇心を忘れていない。

この前は「まず工場に行ってすぐ物を作ってしまえば良い、そのように自分で動いていけ」と言っていた。

 

 

数年前、祖父に「おじいちゃんは仕事をどれくらい頑張ったの?」と聞いて見たことがあるが、

一呼吸置いた後「まあ、頑張ったな〜」

と大変苦しい表情を浮かべながらも、何とも言えない満足感が垣間見える笑みを浮かべながら答えた姿を見て、自分も最後にこう言える人生を歩みたい、と素直に思った。

 

 

 

 

 

 

 

歪みを見つけろ

世の中には一定の禁止事項や負の変化が常にある。

例えば、タバコはトイレで吸ってはいけない。これは世の禁止事項である。

また、歩きスマホ、これもよくないこととして世の中で捉えられている。

 

これらは一見数多ある情報の一つとして見過ごされがちであるが、

実はそこに二つの側面がある。

一つは管理者の論理。

タバコにおいては火事につながってしまう。歩きスマホは事故に繋がる。

日本はこの管理者の論理が強く、この手の禁止事項は欧米に比べ非常に多い。

 

そしてもう一つ、それは隠れた欲求が潜んでいるということ。

タバコをトイレで吸ってはいけないのは、トイレ中にタバコを吸いたい人がいるから禁止しているのである。

 

一方歩きスマホ、これも「歩きながら手持ち無沙汰なのでツイッターを見たい」人が

わんさかいるということだ。

 

ここで大切なことは、管理者の論理とユーザーの論理、両方の側面からアイディアを考えることである。

タバコの例でいうと、タバコの火を感知する警報機が管理者側のアイディアで

トイレのドアの内側に落ち着く絵か漫画なんかが貼ってあったら、タバコを吸いたい欲求も落ち着くだろう。

 

歩きスマホなんかも、スマホ画面に前方の映像が映るアプリがあれば歩きながら事故する確率も減るだろう。

 

そして、圧倒的に管理者の論理で規制されている事例、誰もその論理を疑わないこと、

ここには逆に強いユーザーサイドの欲求が隠れている可能性がある。

 

この事実に目を向けここを壊すideaがあればイノベーションになる可能性は高い。

常にそれを考えながら、周りの事象やニュースを見ていたら面白いアイディアが見つかりやすいだろう。

 

最近思ったのは、東京や大阪などの都会は自転車通勤が禁じられている会社が多い。

なぜかというと会社の敷地面積が狭いので、自転車の駐輪上を備えることができず、自転車通勤は労災リスクも高いからだ。

でも、毎日の満員電車で疲弊するよりは、多少時間がかかっても自転車通勤をしたい人は一定数いると思う。

つまり、自転車通勤禁止の裏には、自転車通勤をしたいという欲求が隠れている可能性が高い。現にある知り合いにこの話をしたら、その人は自転車通勤が禁止されているにもかかわらず、隠れて自転車通勤をしているらしい。

運動になるし、自転車通勤中にプレゼンの練習をしているのだとか。

面白い、ここを壊す破壊的アイディアは、オフィスに持ち込める新しい自転車なんかが浮かんでくる。

駐輪場がないなら、ロッカーに入るサイズの自転車を作ってしまい、持ち運べたら良い、これを企業向けのB to Bモデルとして、月額リースなんか面白いんじゃないかと思ってしまう。

 

いかに世の中の歪みを見つけられるか

と、歪んな視点で物事を眺めること

こんな力がこれから求められていくんだろうな〜

 

今日はこんなところで

成功の法則はシンプルすぎて多くの人は実践できない

7つの習慣という名著はみなさん知っていることでしょう。

人生の成功を掴むための指南書であり、僕の限りある本棚を長く占領している本の一つです。

久しぶりに読み返していたんだが、改めて良いフレーズに出会ったのでここに記したい。

 それは

「成功者の共通点は成功していない人たちの嫌がることを実行に移す習慣を身につけていたこと」

 

だそうです。

 

結局、成功の法則は非常にシンプルでやるべきことを淡々とやるだけ。

 

多くの怠惰な人間(おそらく99%)は自分がやるべきと感じていることさえもやりきることができない。

そのための時間を作れない。だってめんどくさいんだもん。

 

しかし、成功する人は、やるべきことを例えめんどくさくてもやっており、

逆にいうとそれを何があってもやるという強烈なモチベーションを持っているだけなのだ。

しかし、この7つの習慣には大切なことが一つ抜けている。それは、

どうやるか?が書いていないのだ。

ただ闇雲に努力をしたら良いのではなく、正しい努力の仕方があり、方法論がある。

僕たちはそれを知っていなければならない。

やり方については、結論から言うと

「適度な負荷の努力と適度な休みを繰り返す」ことである。

適度な負荷というのは、自分のスキルを少し超えるレベルの内容や高い目標を設定すること、そして休みとは、そこから離れて身も心もしっかり休むことである。これは別名意図的な努力とも言われている。

詳しくは以下の書籍に記載されている。

 

 

PEAK PERFORMANCE 最強の成長術

PEAK PERFORMANCE 最強の成長術

 

 

 

そう、つまり成功するためには、まずやるべきことに時間を割く、そしてその時間の使い方を意図的な努力に徹するだけ、なのである。でもみんなできない。意図的な努力なんてめんどくさいからだ。

 

この二つができるだけで会社では圧倒的な成果を出すことができるだろう。普通の企業でも役員に上り詰めることができる。

 

そしてもう一つだけ。でももっと人生を幸せに生きるためには、一体何について努力をしたら良いか心からわかっていない人が多い。

自分が何がしたいかがわかっていないのだ。

 

それを見つける答えもシンプル。

 

好奇心だ。

 

 

様々な情報を集め、自分の知的好奇心を満たすことを常に見つけ、実践していけば良い。そのために動き続ければいい。それだけで自分が本当にしたいことを見つけることができる。

成功の法則は三つしかない

 

好奇心

時間を作ること

意図的な努力

 

以上

でももしかしたら現代人がもっとも難しいのは、好奇心を持つことかもしれんのう。

 

好奇心を育む方法については以下の記事にて

 

 


taitaitai.hatenadiary.jp

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嗅覚という暗黙知のスキルを身につけるために何が必要か

2018年度の目標設定をしていた。

「今年はどんなスキルを強化するか?」を年初めに考え、

それを身につけるためのアクションプランを考えるのが自分の恒例である。

 

入社3年目くらいまではよく言われるビジネス定番スキル

例えば

論理的思考力、マーケティング力、分析力、リーダーシップ、プレゼンテーションスキル

などなど、

いろいろ設定していては、そのための実行計画を考えていた。

 

ところが、昨今のこの何が起こるかわからない時代、

既存の定番スキルを身につけるだけではもう尖った人材になれまい。

これからはいかに自分のオリジナリティを磨きあげるか、もしくは人が身につけ方を知り得ない野生的なスキルを身につけるか、これが大切なことは多くの方が身をもって感じていると思う。

 

そしてこの暗黙知✖️野性的なスキルを磨ける術を知ることは

周りと大きな差別化に繋がるはずである。

 

例えば、

これまさに暗黙知の極みである。

が、おそらく運が良い人とと運が悪い人は何かしらの日々の行動が違うのであろう。

かの大谷翔平くんは運を身につけるために掃除や感謝の気持ちを持つことなど実際に実践しているようである。

 

他にもオーラ、人間力、カリスマ、など様々な得体の知れないスキルは存在するが、確かにそこには何らかの身につけ方があるのだと思う。

 

そして、今年、新規事業担当である自分として身につけたいスキル、それは「嗅覚」である。

 

彼は嗅覚がある、なんて言われたい。

 

ではこの嗅覚、とにかく嗅覚を身につけよ〜と言ってもしょうがないので、どうやったら嗅覚というスキルを磨くことができるかを考えてみた。

 

結論から言うと嗅覚を身につけるには知的好奇心を磨きあげること

これが一番のポイントであろう。

 

1、「ビジネスの嗅覚」があるとは?

まず嗅覚が高いことの定義をしておこう。

ビジネスの嗅覚がある人というのは、ビジネスチャンスを見つけることができ、それをモノにできる人である。

逆に嗅覚がない人は、チャンスに気づかず、チャンスをモノにできない。

ここで大切な要素、一つ目は、ビジネスチャンスに気づくこと

二つ目は、チャンスに気づきそのチャンスをモノにできること、である。

で、我々にとっては一つ目の「気づく」ことの方が圧倒的に大切な能力である。

なぜなら、ビジネスチャンスに気づける能力というのは暗黙知であるからだ。

一方、チャンスをモノにするということは実行力やリーダーシップ、提案力など、ある程度既知のスキルである。そこで、今回は一つ目のビジネスチャンスに気づけるというスキルについて考えてみたい。

 

2、ビジネスチャンスに気づく人と気づかない人

ここでビジネスチャンスに気づくわかりやすい事例を挙げてみたい。

 

大前版「名経営者秘録」(5)-川上源一さんの「後ろを向いて報告しろ」 | プレジデントオンライン | PRESIDENT Online

 

自分の中での大好きな川上源一さんの話なのだが、

この事例からわかるように、ビジネスチャンスに気づくにはあるプロセスがある。

 

3、ビジネスチャンスに気づくプロセス

大まかに分けるとこの三つのプロセスである。

①ある情報に接する

②その情報から別の情報が浮かぶ/引き出す(紡ぎ出す)

③意味合いを見出す

 

おそらく多くの凡人は①で終わってしまう。ある情報を聞いてふ〜ん、で終わってしまうのだ。

しかし、嗅覚が高い人は違う、そこから持ち前の好奇心で何らかの情報を引き出す、もしくは自分で考え出し、それを③のビジネスに昇華させてしまうのだ。

 

①については情報の精度自体を上げることは情報収集力になるので、

これはまた別の議論。この②の別の新たな情報を引き出せる思考回路を持つこと、

つまりこれが嗅覚が高いことなのだと思う。

ちなみに③についてはおそらくアブダクションと同義であり、それに関しては下記で論じたのでこちらを参考にしてほしい。(かなり長い記事である)

 

 

 

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4、嗅覚:とある情報から別の情報を紡ぎ出す

先ほどの川上源一さんの事例にあったように、ある情報から別の隠れた(あなただけが知り得る)情報を引き出すには、脳の知識のストックが必要だ。

そのためには、まずは好奇心。

その好奇心があるからこそ、様々な情報を得て、脳に蓄えることができ、情報と情報が繋がりやすい状態を作ることができる。

 

しかし、単純に人間は好奇心を持てと言われても難しい。そこで、人間の好奇心を持つメカニズムを知っておく必要がある。

実は人間は、全く自分の興味がないことに関しては好奇心を持ちづらいが多少なりとも知っていることには好奇心を持ちやすい生き物なのである。

つまり、その情報に置ける周辺知識を浅くでも持っていた方が好奇心が湧きやすいので日頃から様々な情報に自らアクセスし、浅くても良いので幅広い知識を持っておく方が、好奇心を持ちやすい体質を作れることができるのだ。

 

この好奇心をうまく使えば様々な分野の情報のストックが出来上がる。

これで下地は出来上がりだ。

では次のステップ

「隠れた情報を引き出すこと」

 

大抵の新しいアイディアは情報と情報の組み合わせとはよく言われたものであり、このビジネスチャンスを発見するというものも、

つまりは自分がストックしている過去の記憶と

新しく得た情報の結合と同義なのである。

そしてここからが重要なのだが、人間の脳とは部位ごとにその役割が決まっており、その部位はネットワークで繋がっている。

脳の部位は例えば、思考系、感情系、運動系、など様々な部位で構成されている。

そして、今話しているこの

 

「自分がストックするビジネス知識とその隠れた情報をつなぎ合わせること」

とは、脳の中身でいうと記憶系の部位と思考系の部位が繋がることである。

そして、この繋がる神経は、脳を鍛えることで発達させることができる。

例えば、「音楽を聴きながら踊る」という行為は、聴覚系と運動系を同時に使っており、この二つの部位が繋がるネットワークを強化できるのである。

つまり、この記憶系と思考系の部位をつなげるためには、毎日これらを繋ぐことを習慣化したら良い。

例えば、アメリカのベンチャー企業が始めた面白いビジネスモデルを知った時、

それを自分の業界で行なった場合はどうなるか?

花火✖️シェアリングで何が生み出せるか?

どこか観光に行った時、この観光地の観光客を増やすにはどうしたら良いか?こんなビジネスをやってみたらどうだ?

など、過去の記憶のストックと新たな情報を繋げる思考練習を常にしておくことで、

脳の部位同士の高速道路が出来上がり、その思考を行う習慣化ができるはずだ。

これが潜在的にできることで嗅覚は圧倒的に成長するはずである。

 

5、結論

今回は「嗅覚」という暗黙知のスキルを磨く方法を考えてきたが、

・情報の裏を掴むための好奇心を身につけるため、日頃から幅広く情報に当たること

・新たな情報と記憶を繋げるため、脳みその記憶系と思考系を繋げる思考訓練を日頃から行うこと

この二つが嗅覚を磨くアクションプランである可能性が高い。

もちろん、これらの妄想を実際に実行し経験を積むことでさらなる強化ができることはいうまでもない。

 

上記の思考実験として以下の記事なんかがある。

 

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なぜ人間は本能的に赤ちゃんを可愛いと思ってしまうのか?

どうもお久しぶりです。

もう2017年も終わりですね。

あっという間です。

僕は今年は色々変化があり、家族、職場、仕事、コミュニティあらゆるものが大きく変化しました。

しかし、強いて言えば最も大きな変化は子供が生まれたことによる、思考の発酵時間が延びたことなのかもしれないと思います。

というのも、今までは浴びるように情報を受けていましたが、子供が生まれて子育てを

やっていると、1日のうちほとんどの時間を子供に奪われます。

なので、子供をあやしながらも、頭の中で仕事のことを考えているのですが、これがなかなかいいです。思考をまとめたり発酵したり、十分時間があるので、今までの短絡的な発想方法から、深い思考へと変わって来つつある気がします。

 

さて、今日は、タイトルにあるように、なぜ赤ちゃんのことを我々は可愛いと思ってしまうのか?をちょっと農業革命と絡めた仮説を考えて見ました。

 

□人間に備わっているbaby schema

https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC3260535/

どうやら人間には、Baby schemaというものがあるらしいです。これは顔が丸かったり目が大きかったり、目や鼻のパーツが顔の下の方にあったりと、愛らしい要素を人間は「可愛い」と思うらしいです。そしてこれは人間だけでなく、動物の子猫やキャラクター、またまた自動車など様々なものに当てはまるらしいです。

このように何かを可愛いと思うことは、人間、特に赤ちゃんの生存確率を高めるために必要なため、人間に備わったと言われています。でも赤ちゃんの生存確率を高めるためにこの特性がほとんどすべての人間に備わってしまったということは、疑問です。

だって、基本お母さんが赤ちゃんは育てるわけですから、出産後の女性だけに赤ちゃんを可愛いと思う特性があればいいですよね?

でも老若男女すべての人にこのBaby Schemaはあるようです。

ではなぜすべての人にこの Baby Schemaが備わってしまったのか、生物の進化の都合上そならざるを得ない理由があったのでは、と思いました。

 

まず、人間は他の哺乳類と比較しても利他的な行動をする特徴的な動物であると言われています。

なぜ人間が利他的な行動をするようになってしまったのか?

ちなみに利他的な行動をする動物の共通点は、自分たちの家族や親戚、仲間たちと同じコミュニティで過ごす哺乳類に見られる特性らしいです。

で、ここから仮説ですが、おそらく人間は、農業社会に変化してから利他的な行動を行うように変化したのではないかと思います。

これまでの狩猟生活では、その日暮らしで、まあ獲物を捕獲できたら、少数の家族でも生きていけました。

しかし、農業生活が始まったことで、人間の労働時間は圧倒的に増えました。

結果、家族の大部分がほとんどの時間を農業という仕事を行います。

当初は生産性も低く、必然的に自分の身を犠牲にして、仕事に取り組まないと共同体が全滅してしまう可能性もあったのかと思います。

これは、結果的に自分のことばっかり考える利己的な特性では、この農業社会はうまく回らなかったのでは?

そこで、人間には利他的に、つまり自分を犠牲にして他の人たちを助ける・支援する利他の精神が農業生活で身についたのかと思います。

 

一方、狩猟生活の頃は基本的に赤ちゃんのことはお母さんが一対一で見ていました。

しかし農業生活が始まるとお母さんも仕事があるので、赤ちゃんの面倒はそのコミュニティの誰かしら手が空いている人が順番に世話をする必要があります。

その時、このBaby Schemaという特性がなければ人の家の子供なんてうっとおしくて殺してしまうでしょう。しかし、Baby shemaが人間に備わっていることで、赤ちゃんを可愛いと思い、結果共同体の人たち全員で赤ちゃんを育てるようになったのかと思います。

また、赤ちゃんをしっかり育てられないコミュニティは労働力の確保ができず、滅びてしまう可能性が高まります。

つまり、赤ちゃんを可愛いと思う特性はコミュニティの生存確率を上げるために全員に必要な能力だったのではないか、という仮説です。

Baby Schemaは農業生活が始まったことによる人間の新たな進化の形なのでは、と思っています。

 

まあ結論的に何が言いたいかというと、人間の進化は農業革命による生活方式の変化で必然的にBaby Schemaという特性を身につけざるを得なかったという仮説です。

農業革命は人間を縛り付けたパンドラの箱と言われていますが、僕はそうではないかと思います。

人間の生存確率は圧倒的に高まり、コミュニテイとして複数の人間たちと生きる社会が生まれた。さらには赤ちゃんを育てあう利他の精神やそれがゆくゆくはお隣さん文化にもつながって生きます。

しかし最近は携帯電話の普及によって、Face to Faceのコミュニケーションが減少したことで、利己的な子供たちが増えてしまっているというデータもあるようです。

やはり、大家族で過ごすことは子供のコミュニケーション能力を育むという点でもいいらしいのですね。

 

人生で最初の記憶は言葉を覚えると共に始まるという仮説

皆さんには、人生で一番はじめの記憶というものはあるだろうか?もしくは覚えているだろうか?

 

僕にはある。というか覚えている。という表現の方が正しかろうか。

 

それは、当時4歳だった僕が、初めて兵庫県宝塚市のとあるマンションに引っ越した日のことだ。

 

父の車で岡山から兵庫に移動し、マンションに着いた。

その時、上の階に住んでいた友達とそのお姉ちゃんが、階段から顔を覗かして僕たちの方を見ている。

それが僕の一番古い記憶だ。

 

もちろんその後、幼稚園に通ったり、阪神淡路大震災を経験し、燃え盛る街をテレビ越しに眺めたりと断片的な幼い頃の記憶はある。

 

が、先ほどのマンションの記憶は、なんとも言えない、不安な気持ちと新たな友達に出会ったワクワクという感情と結びつき、僕の心の中に色あせない記憶として残っている。

 

さて、表題にある「人生で最初の記憶は、言葉を覚えると共に始まる」という仮説は、

今朝起きた瞬間に思いついたことである。

最近はよく夢の中で変なアイディアを思いついたり、無駄な仮説がスパークするのだが、この表題も同じ感じで思いついた。

 

これはあくまで仮説である。

が、例えば、僕たちは一週間前の夕食は覚えていないが、小学校の頃の運動会のことは覚えているのではないだろうか?

同様に、1ヶ月前に上司から言われた仕事のお題は覚えていないが、中学校の頃、初めて告白した日のことは覚えているのではないだろうか?

 

これは強い感情、もしくは衝撃的なことが起こった時は、強く感情が揺れ動くことで、それが鮮明に記憶に残ることが原因である。

 

つまり感情と記憶は強く結びつきやすいということである。

 

脳と記憶、記憶のされ方

 

しかしだ、そもそもその感情というもの自体を本人が認識していなければ、それが

脳には衝撃的な事実として記録されないのでは?

例えば、赤ちゃんにとっても可愛いぬいぐるみをあげても、おそらく赤ちゃんはそのことを覚えていないだろう。それは、赤ちゃんは笑顔になるかもしれないが、それが赤ちゃんにとって「嬉しい」という感情には繋がる訳ではないからだ。

 

しかし、もう少し成長した子供、それも多少の言葉を覚えた子供にとっては、

ある程度の感情を言葉で表現できるようになる。

そして、おそらくこの瞬間に子供は何かしらの事実に対して初めて感情を感じることになり、それは記憶として脳に残ることになる。

 

つまり、言葉を覚えるというトリガーにより、目の前の事象に対して感情を持つことができ、結果的にそれにより記憶づけされやすくなる。

という仮説である。