日々の思考の積み重ね

家電メーカー企画マンの独り言ブログ

結構すぐに効果が出るマーケティングその①

50歳くらいのちょっとオッパイが垂れかけてきたおばちゃんでも実践できるマーケティングはないものか?

と考えていました。

 

なぜかというと、マーケティングって小難しいからです。

なんか、STPやポジショニングなど結構考えるプロセスが長いし、

ノウハウを組織に落とし込むのは時間がかかるな〜と。

 

そんなこともあり、マーケティングの真理とは何かを考え続けていました。

で、気づきました。

一つの現時点の結論ですが、結局「お客様の脳内にビジュアライズしたら勝ちやん」ってことです。

これをビジュアライズマーケティングと呼びます。勝手に。

 

ビジュアライズマーケティングを使えば、もっと誰でも簡単に

それこそちょっとオッパイが垂れかけたおばちゃんでも

自分の商品を売る力を高められる(はずです)

 

その前に

「なぜ人はそもそも商品を買うのか?」という問いを考えました。

 

 

この問いに対する自分の答えは

「自分の生活シーンでそれを使ってる映像を頭に描いて、納得感を感じたら」買うのです。

これ、わかりやすいのはスーパー。

だいたいスーパーで食料品を買うときって、お店に着くまで買うものってあんまり決まっていないことが多いですよね。

でも実際に店に入って、色々と陳列棚の野菜やら肉やらを見ることで、

その日の献立が浮かんで、購入して行きます。

このときの主婦の頭の中って、

究極的には「食卓でその料理を食べたときの家族の顔や言動」を脳内でイメージしているかと思います。

 

・ひき肉を見て、「あ、これ今日合宿帰りの息子が腹減ってるだろうから

         ハンバーグにして沢山作ってやろう」

・サバを見て「刺身で食べたいけど、パパが最近痛風で嫌がりそうだからやめとこう」

・キュウリを見て、「あ、これ家の残り物と合わせてつまみにしたらビールに合うから私が食べたい」

 

みたいなことを主婦は超高速で思考しています。

その思考活動でうまくビジュアライズされたものは、購入土俵に乗ります。(あとは値段次第)

この脳内思考の手助けをうまくやっているのがPOPです。

 

 

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スーパーのPOPの事例

これ、めっちゃ子供に食べさせている映像が浮かんできませんか?

 

 

で、さっき自分が提唱した

ビジュアライズマーケティングとは

「自分が販売している商品」を使っている利用シーンを

消費者に思い浮かべてもらうこと(ビジュアライズ)を

めっちゃ大切にする方法です。

 

こんなビジュアライズなんて、誰でもやってるやん?いまさらあほちゃう?

と言われることは承知です。

 

でもこれが意外と難しいです。

なぜならほとんどの商品はそんなシーンを考えずに、作られてるからです。

 

そして多くの売り手がこのビジュアライズ表現をしていないゆえに、

販売で困っています。

 

また、ちゃんとお客さんのシーンを考えて商品もあるかと思いますが、

多くの場合、お客さんの解像度が非常に低いです。

 

 

解像度が低いときは、5W1Hで登場人物が浮かんできません。

でも、解像度が高いとさっきのPOPのようにシーンがありありと浮かんできます。

 

 

実践例で考えてみましょうか。

最近アパレル業界のお客様と一緒に仕事を行なっています。

が、みんな洋服が売れなくて困ってます。

で、何やってるかというとSNSやWEBサイトでひたすらスタッフが自社ブランドの

コーディネートを発信してます。

でも、あんまり見てくれないんですよね。

あとは店頭に行ってもサイネージでオススメの洋服を流しているだけ。

そんなんじゃあ買ってくれないでしょう。

なぜかというと、「商品」を主役に説明しているからです。

 

・この商品はこういう着こなしがあります。

・こんなところが可愛いです。

 

お客様からしたら、全然自分の生活に関係ないように見えるのです。

大学生がオムツのテレビCM見てるのと同じ状況です。

 

ここのビジュアライズマーケティングを取り入れるなら、

その服を着ている大学生のワンシーンをありありと思い浮かべて、

欲求を刺激することが必要です。

例えば、

・色を意識した場合

今年流行りの***を基調にしたジャケットカラー。

夕暮れ時、カフェの窓際で、PCを眺めてこのジャケットを羽織るあなた

自分に酔えるだけでなく、周りにもさりげなく一味違うオシャレさんをアピールできます。

 

 

くらいに、具体的なシーンに落とし込むことで、脳内にありありとこの商品を身につけたときのビジュアルが浮かんでくるはずです。

 

 

・ビジュアライズマーケティングのリスク

わかった、とはいえ、これだけ利用シーンを狭めてしまうと、

逆にターゲットが狭くなってしまうのではないか?

という反論があるかと思います。

その通り、

なのでそういう場合に備えて、

集合的無意識を考えた訴求方法にしておく必要があります。

集合的むいしき?

この辺はまたその②で説明したいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

鬼滅の刃を読んで、倉本聡と真田幸村を思い出した。

鬼滅の刃

読みました。

 

毎週金曜日の夜に、漫喫に行って、3巻づつ読むと言う、

最高の出汁を少しづつ搾り取るように、

この漫画を堪能させていただいた。

 

そして、最終巻では思わず涙をしてしまった。

漫画を読んで泣くなんて、初めてだよ。

 

そして今改めて思う、なぜ鬼滅の刃が多くの人の胸を刺すのか。

①色々と捨てすぎな潔さ

この作者、現代人のスマホなれした特性を分かりきっているかのように、

本当に飽きさせない漫画の作り方をしている。

例えば、主人公が初めて鬼殺隊となるべく、

天狗のお面の師匠に修行を遣わすシーンだが、

初っ端の修行シーンが一切描かれず、修行後のめちゃめちゃ疲れた主人公1コマのみが描かれて終わっている。

ここで衝撃を受けた。

従来の漫画家なら、わからんが例えばNarutoで言うと、自来也の修行シーンばりに、

描きそうな気もするが、

それを一切省いている。

なんと良い潔さ。

だからこそ、重要なシーンのみを描き、読者は飽きない。

おそらく、まだ序盤シーンで作者も若いということはあるが。

通常の漫画家はスキルが上がるに連れ、どんどん描きたい要素が増えてしまい、

助長になってしまう。

ワンピースがいい例である。

そしてこれはあらゆるモノづくりでも同じである。

技術力が高まるとユーザーが求めていない要素をどんどん増やして行ってしまい、結果的に幕の内弁当になってしまう。

ある意味、ストーリーに骨子のみに絞り、徹底的に描きたい気持ちを無視する、

非常に作者目線ができる体制で進めていたんだろうと感心した。

 

 

②正義と悪、両方の解釈がある

鬼滅の特徴とも言える、

それぞれのキャラクターごとに描かれる固有の昔ばなし。

これは仲間だけでなく、敵キャラでも同じ。

特に上弦の参の鬼の話は秀逸であった。

この悪キャラも他のキャラと同じく、

どうしようもない不幸により、鬼にされてしまう。

しかし、このどうしようもない不幸を描く裏の設計の深さに驚いた。

この鬼は人間時代、

己の愛する人を、隣人に毒殺されてしまう。

すごいのは、

漫画の中では直接描かれない、その毒殺を行った人間たちの

背景や心理、人間関係をかなり緻密に考えて漫画を書いているのだ。

これは話の間の「大正裏話」という漫画の裏設定でわかるのだが、

この緻密さは、

北の国からを作った、倉本聡を彷彿とさせた。

彼も、ドラマのキャラクターたちの生まれてから、

ドラマの時代に至るまでの年表を事細かに作り、

それで初めてドラマを描く作業を行っている。

漫画家でそこまで設定を行っているのは、非常に稀なのではないだろうか。

マーケティングをする上での、

ユーザーはそのサービスを使う導線

例えば、どんな状態でどんな方法でそのサービスに出会い、

その時はどんな心理状態なのか、そう行った細かい描写を考えながら、

サービス設計を行うのだが、まさにそれを全てにキャラクターで描く、

ポスト聡の仕事ぶり。

 

これによって、悪側の論理を読者は知ることになり、

意味の解釈が生まれる。

ここの解釈の多様性があるからこそ、

この漫画に対してあらゆる感想を抱く。

つまり人によって解釈できる幅が広いため、あらゆる世代から愛される漫画となった。

 

 

③主要キャラが平気で死んでいく無情さ

最後に、物語の核をなす「柱」たちが普通に死んでいく。

ワンピースでいうと、エースが3巻おきくらいに死ぬ勢いである。

しかし、常に柱たちは死と正面から向き合っている。

どう生きるか、よりもどう死んでいくべきか。

それぞれが覚悟を持ち、

鬼を倒すという目的のもと、

一致団結している。

 

永遠の命を持つ鬼、切っても切っても蘇る鬼、

そんな強靭な鬼たちに、

骨が折れ、血を吐き、腕を削られようとも、

儚い命を全力で生き切る、そんな精神性が

真田幸村を彷彿とさせるのだ。

そして、古来より日本人はこの

負けると分かっていながらも、全力で挑み、死んでいく「精神性」に美意識を持っている。

それは戦艦大和が沖縄で負けるとわかりながらも沈んで行ったことを美しく描く特性である。

ここの精神性を最大限美しく、強く描き切ったからこそ、

あらゆる人たちの心を打ったのである。

 

 

振り返ると、

この物語の設定である

「強靭な鬼」VS「強く儚い人間」

この設定を作り、

さらに足元を支える、

「無駄を省くシンプリシティ」「意味の解釈せい」「主要キャラが死に向きあう精神性」

が深く強く絡み合いこの傑作が生まれたのだ。

 

 

 

 

 

新入社員は絶対できない「目的思考」を身につけると、人生が180度変わる

新人の社員に、

「入社して高めるべきスキルはどんなものが必要ですか?」

 

と聞かれたら、目的思考、と答えるようにしている。

 

なぜなら目的思考は仕事の成果を高める劇薬であり、

人生のベースにもなるスキルだからだ。

 

目的思考がない人間は、

上官に突撃と言われて、銃を片手に訳もわからずただ突っ込み即死する歩兵である。

視座は低く、打ち手も場当たり的であり、何度もぶつかり血を流すわりに対して成果が出せない体力勝負の世界である。

 

他方、目的思考がある人は、

突撃する前に戦地全体を眺めて、上官の意図を理解した上で、攻撃を考えられる権利を持てる。

つまり、しっかりと輪郭を理解した上で、

長期的な視野に立った上で、クリティカルかつ適切な打ち手を行うことができる。

 

以下、目的思考がどのように仕事の成果につながるか、一例をお伝えする。

 

 

 

①目的思考で仕事のアウトプットが変わる。

例えば上司に

「担当商品のお客様説明用の資料を作って」と言われた時に、

 

目的思考がない人は、とりあえず過去のお客様に出した説明資料をつぎはぎして、それっぽい資料を出すだろう。で、上司の意図と違う成果物になることで手直しが発生するだけなく、こいつ何も考えてね〜使えねえ〜と上司に思われる。

要はなぜその資料が必要かという目的を理解せずに行動するとこうなる。

 

目的思考がある人は、上司にその目的を明確に確認することで、付加価値を作ることができる。

たとえばその目的が、

とあるベンチャー企業との業務提携を検討しており、

その際に自社の紹介商材の一例として、新商品を紹介する。

となった場合は、

そのベンチャー企業の戦略やプロダクトを調べて、自社との提携スキーム案を検討した上で、

担当商品を紹介することで、ベンチャー企業にとって自社の魅力伝達に役立つか、という観点で情報をまとめ、上司に提出を行うだろう。

 

②目的思考でルールを疑う力が身につく

例えば、ある商品仕様を設計する上で、とある構造に対して、

品質が絶対だめ、と言ったとしよう。

なぜ?と問うと、

「それは社内のルールだからです」

 

では、社内のルールは何のために作ったのか?

これが目的思考ができる人の考え方だ。

 

そのルールを調べていくうちに、

なぜそのルールが作られたのか、そしてどのようなことを懸念されているのか、

が理解できると、

その懸念事項を回避する、特別ルールを設定し、今回の構造は成立できるような話ができてくるかもしれない。

 

 

③目的思考で時間管理力が高まる

スケジューリングも目的思考の塊である。

その1時間を何を目的に過ごすのか。

例えばある業界の情報を調べる。

しかし、その情報をただのインプットを目的にするのは質が低い。

友達に明日話してみよう、と目的を変えるだけで、大幅にインプットの仕方が、変わる。

 

④目的思考でマーケティング力が高まる。

店舗のスタッフとして、飲食店の売り上げアップを考えるとしよう。

その時、多くの人は

お店のメニューの値段を下げよう、とかバリエーションを増やそう、とか

手段に終始してしまう。

しかし、目的思考の人は、なぜそのユーザーが店舗にやってくるのか、というユーザーの目的を深く考える思考ができる。

そうすると、そもそものブランド認知を変えよう、とか

違った発想が出てくる。

 

また、お店のキャッチコピーなんかも目的思考が問われるいい例だ。

たとえば、アパレルショップで季節商品を販売するときも

・目的思考ができない人は、「10%半額セール」

・目的思考ができる人は、

 「芸術の秋!秋の可愛い着こなしで美術館デートに行こう。」

などのようにユーザー体験を意識したキャッチコピーが打てる。

 

 

 

 

⑤目的思考で交渉力が高まる

相手の目的を理解することで、コミュニケーションの目的も変わる。

交渉も基本的には、どこまでお互いが譲歩をするカードを出し合うかのゲームである。

自分たちの交渉で獲得しうるギリギリのラインを見定める、そして相手のラインも見定めることで、余裕を持った交渉が可能になる。

 

 

 

 

 

 

以上、いくつか挙げさせていただいたが、

この目的思考の良い点は、基本的には自分次第でいかようにも目的を設定できるのである。

目的の設定次第で、あらゆる仕事の成果を高めることができる、ひいては日々の行動も変えることができる、ことなのである。

 

そしてその心持ちを新人時代から身につけておくだけで、

10年後に大きな差が生まれることは間違いない。

 

 

 

 

内向きな仕事ばかりで嫌けがさす方へ

仕事をすごい毎日頑張ってるけど、

 

ふと振り返ると社内調整や無駄な資料作りばっかり、内向きな仕事しかできなくて、

俺(私)何やってんだろう、と途方にくれる方多いんじゃないですか?

 

 

特に資料作りは最たるもの。

上司に見せる資料の体裁や見た目ばかりを整えて、

説明した後は一生使わないパワポの死骸を大量に築いている人がほとんどでしょう。

 

なぜこんな無駄な仕事ばかりが蔓延しているのか?

優秀な社員が気がついたら内向きな仕事ばかりで嫌気がさして、

会社を辞めるケースが多いと感じています。

 

そんなことを考えていて、今日、一つの結論に辿り着きました。

 

それは無駄な仕事をする人に責任はないと。

むしろ彼らは被害者。

加害者は会社のルールや雰囲気を作っている人事や組織責任者だなと

思ったわけです。

 

お客様価値に直結しないもの以外はやめる。

そうすれば恐ろしいほどの生産性を手に入れられるはずです。

でもこんなシンプルなルール作りができないのは、なぜ?

 

いま私の会社でも、新事業の実証実験を行うために、膨大な試験と資料、承認決裁が必要です。

 

これらの重厚長大なプロセスの前提には、

多数の有識者から多角的な視点で物事を判断したら、

良好な結果が出ると裏付けされた心理があるからです。

でもこれは本当?

 

多数の有識者が多角的な視点で物事を判断することが、結局は粗探しになっており、

それ自体が事業のスピード感を損なっていることはあるのでは?

 

多数の人間が承認決裁を行うことで、一人一人の責任意識が弱くなってしまうのでは?

 

何より、担当者が社内調整に奮闘するあまり、本来大切な外向きの仕事ができなくなってしまっている。

 

これが問題です。

 

だが、古来優れた戦略が一人の頭脳によって生み出されたように、

正しい意思決定を行う人間はできる限り少なくすればいいのです。

 

じゃあ人を少なくして、シンプルな意思決定機構にしたらいいのでは?

もし、そんなことをしたらどうなるか?

暇なおっさんで会社が蔓延するでしょう。

それは困る、何か仕事を作らなければ、

それが上記の重厚長大なプロセスに繋がっているのです。

 

だから、それをコントロールするのは本来は課長なり部長で、

適切な人間に適切な仕事を与え、

それがお客様価値に直結しているか、常にコントロールしなくてはならないのです。

 

それができないのが日本の大企業の弱みです。

ミドルレンジの40代は

内向きな仕事をやらせることが仕事だと思っております。

 

ただし、内向きな仕事をやらされる人にも責任があります。

なぜなら、内向きな仕事しか与えられないような人間だからです。

 

結局、外向きの面白い仕事は、優秀な人間に集まり、

逆に誰でもできる社内向けの仕事は、

量産型の人間に振られます。

 

だから、じゃあどうしたら良いかということですが、

仕事以外に外向きの仕事を求めるのが早いと思います。

 

自分のプライベートで何か商品を作って売ってみる。

近所のバザールに出店してみる。

それを面白いと思えるかどうか、まずはそこからですかねえ。

 

 

 

頭一つ仕事で抜きでたいなら、映画の脚本家から学べ

映画の脚本家が様々なビジネスを立ち上げて、社会的な影響力を持つ時代が、

これから必ずきます。

 

 

なぜなら映画とは物語だからです。

そして、ビジネスも物語です。

 

今のビジネスは映画で例えるなら、MARS ATACKでしょう(古!笑笑)

火星からの侵略者から地球を守るため、仲間達と武器を持って戦い、勝つ。

 

企業も同じです。ビジョンを掲げて、

武器という名の商品やサービスを準備する。

ともに武器を持ち、ビジョン達成に挑む仲間たちはCustomer お客様です。

 

たとえばTESLAが行なっているのは同じことでしょう。

環境破壊を防ぐ、というビジョンに賛同したお客様がModel3という武器で、

一緒に戦っているのです。

 

 

そして今回僕が注目したのが、冒頭にあげた映画の脚本家です。

彼らは観客の感情をコントロールするプロです。

お客様の心を掴みビジョンに扇動するには、

彼らの仕事を理解することが非常に重要であり、

他の人よりも頭一つ抜きん出られるはずです。

 

今回、 映画脚本家のバイブルである、

「ハリウッド式 人を感動させる物語の創り方 The STORY」という本を読みました。

この本、ずっと読みたかったのですが、数年前はなかなか入手できなくて困ってましたが、

今回新たに刷新されて販売されたらしく、即購入して読みました。

そこには驚くほど、我々の仕事に通づる重要な概念が書いてありました。

 

非常に難しいですが、

あえて一つに絞るなら、以下の内容が最も意味深かったでしょう。 

 

 

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優れた作品は反応に重きを置く。どんなストーリーでも、行動の多くはある程度予想されたものである。優れた脚本家は「何が」起きるかではなく、それが「誰に」起きるのか、「なぜ」「どのようにして」起きるかが重点がおかれる。

実際最も豊かで満足のいく喜びを与えてくれるのは、どんな反応が生じるか、どんな洞察が得られるかを重視するストーリーである。

<中略>予想と結果のギャップがストーリーの本質である。ストーリーのエネルギーの源は何か、その答えもやはりギャップである。

 

 --------------------------------------------------------------------------------

これは商品やサービスも一緒で、

映画でいう「何が起こったか」つまり、

商品では「どんな機能があるか」はあまり重要ではなく、

その商品がどんな状況で、なぜ、どんなタイミングで利用されるか、

そこがすげえ大切になってくるってことです。

 

 

ドラマ「北の国から」を手がけた倉本聡氏は、

全ての登場人物が産まれてから現在まで何があったかを年表にしてから、脚本制作に取り掛かると言われています。

 

これはその人物に何かが起こった時に、どんな反応をするか、そこがドラマの本質だと氏も理解しているからでしょう。

友人に助けられた時に素直に喜ぶのか、余計なことしやがってと捨て台詞を吐くのか、

それはその本人が生きてきた背景次第です。

面白い映画かドラマかを分けるのはそこだと思ってます。

(そういう意味で最近のドラマが面白くないのはここの背景までをしっかり作り込んでいないからだと思ってます。)

そして、その反応の連続で、観客は感情が動きます。

登場人物たちに共感しつつ、自分たちの期待通りに進まない時に感情が揺れ動きます。

脚本家は巧みにこの感情をコントロールするテクニックを扱っています。

 

あなたたちが見てきて感動した映画、ドラマは全て、脚本家の掌で転がされているのです。

すごいよね、こんなことを狙って彼らはやっているのです。

 彼らは効果現象の法則を常に意識しています。

ストーリーはポジティブ、ネガティブな感情を交互に力強く生みださなければならず、

効果現象の法則とは、同じことを経験すればするほど、その効果は薄れるということです。

 

戦争で、人の死に直面すればするほど、それに慣れていってしまうのと同じです。

 

 

何が言いたいかと言うと、

僕たちが考えるサービスもそのサービス自体の中身ももちろん大切ですが、、

そのサービスを使うユーザーが、

・どんな人で(どんな生活を送ってきたのか)

・なぜ

・どのようなきっかけでそれを使ってどんな感情的変化を作り上げるか

 

そのユースケースを徹底的に練りあげることが、

心を動かすサービスに繋がることだと思ってます。

その映画のストーリーのようなユースケースを知ってもらうことで、

お客様は共感し、感情が揺れ動くからです。

ここをコントロールして設計できる人たちがビジネスを生み出せるようになってきます。

 

多くの企業がこれに気づき動き始めてますし、

最近だとメルカリはこの辺りのストーリー構築がうまいと思ってます。

 

magazine.mercari.com

 

 

 

 ザストーリー、ぜひマーケテイング力を高めたい人にはオススメです。

 

ザ・ストーリー

ザ・ストーリー

 

 

 

 

 

生きているうちに、つたえなければならない

なんとなく嫌な予感がしていた。

 

祖父の様態の連絡が、暫くなかったからだ。

 

多分仕事がある自分に遠慮しているのだろう、

ぼくは母親に電話をして、状況を知った後、

すぐに新幹線に飛び乗った。

 

今回が本当に最後だろう、

でもそのときに僕は何を伝えたらいいのだろう。

そんなことを考えながら、岡山についた。

 

コロナの影響で、横浜からの面会はだめです。

これが病院のスタンス。

でも、何とかお願いして、

全力でお願いして、

15分だけ面会できることになった。

 

おじいちゃんに会ったとき、

手を握ったとき、

涙が止まらなかった。

 

 

かろうじて聞こえる右耳に向かって呼びかける。

おじいちゃんはうなずき、

必死に何かを伝えようとしている、でも声を出す力がない。

ホワイトボードに書きたい、と手でジェスチャーを伝える。

 

細い手で、必死にペンを握りしめて、僕に何かを伝えようと、

必死に書いている。

文字は全く読めない、ふにゃふにゃだからだ。

 

でも、それでもよかった。

何かを伝えようとしてくれてるおじいちゃんが嬉しかった。

 

ほとんどご飯も食べられない、体中癌に冒されて、最後の病床にあって、

必死に何かを伝えようと書き続ける祖父。

ぼくはその姿を見ながら、これがおじいちゃんなんだと思った。

最後まで、最後まで、伝えようとしてくれてる。

 

僕はおじいちゃんありがとう、しか言えなかった。

 

15分くらいだろうか、疲れ果てた祖父は目を閉じた。

 

まだ体温がわずかにある。

 

暫くすると、

少し目を開けた祖父は、もう一度書きたい、と手でジェスチャーを伝える。

すぐにホワイトボードを差し出して、また、何度も、何度も、

読めない文字を書き続けてくれた。

 

涙が止まらなかった。

子供のころ、おじいちゃんは、絶対ぼくがどんなに頑張って、レゴを作っても

100点はくれなかった。

いっつも笑いながら、80点、85点、90点。

 

そんなおじいちゃんが好きだった。

 

今回のおじいちゃんの文字は10点くらいだ。全然読めないよ。

今まで散々話してきたけど、肝心の最期の時は、何を伝えたらいいかわからなかった。

でも、今まで沢山喋ってきたからこそ、

生きているうちにたくさん伝えてもらったからこそ、

祖父が最後に伝えたかったことが、僕には理解できた。

 

 

 

 

祖父と最後の別れをした後、

母親に祖父が書いたホワイドボードの写真を見せた。

かなりの時間を過ごしてきた母親は、

一つづつおじいちゃんが書いた文字を解読していく。

 

會社

及び

日本

難しい

 

 

全体の10%程度しかわからなかったが、

多分

これからの日本は難しい時代になる、

會社も難しい時代になる、

 

 

祖父がずっと言ってきた言葉だった。

 

 

 

 

そんな時代だからこそ、頑張れ

 

 

 

と祖父は伝えたかったのだと、

そう僕は理解した。

 

 

 

 

生きているうちに、伝えなければならない。

伝えられるのは、生きている特権だ。

日々、自分はどれだけの想いを伝えているだろうか。

 

おじいちゃんから受け継いだすべてを、僕は伝えていくよ。

 

 

ありがとう、おじいちゃん。

 

 

 

taitaitai.hatenadiary.jp

 

 

夫婦喧嘩の原因は「相手への期待を伝えていない」から

コロナウイルスの影響で、

生活様式が大きく変わってしまった。

 

だから、今までの考え方やスタイルを見直す人が多いと思う。

 

僕も自分の人間関係のスタイルを見直すことになった。

 

正確には、「妻」との関係性。

 

妻と喧嘩をしてしまう理由は、

相手に期待しすぎている、こともあるのだが、それ以上に、

「自分の期待を相手に伝えていないこと」

が原因であった。

 

例えば、僕はよく皿洗いやトイレ掃除など、家事をやっており、

それでしっかりイクメンとしての役割を果たしている自負があった。

 

しかし、妻からしたら、そんなことより、子供達の面倒を少しでも見て欲しい、という

期待が自分にあった。

なぜなら、平日はずっと子供の面倒を見ているから、少しでもその時間から解放されたい、のだ。

それで妻は少しづつ不満が溜まって行って、ずっと機嫌が悪い。

からしたら、「こんなに自分は家事を頑張っているのに、何が不満なのだ」という気持ちであった。

 

そしてお互い爆発して、喧嘩する、その繰り返しである。

喧嘩後に、しっかり妻と話し合うと、初めて向こうの期待が見えてくる。

妻は僕に期待しているし、僕はそんな期待を知らなかった。

 

相手に勝手に期待して、勝手に裏切られたと感じて、機嫌が悪くなっていく。

今、ほとんどの家庭で起こっている喧嘩の原因はこんなところじゃないか。

 

でもなぜこれが起こってしまうのか、冷静に考えると、

「相手に期待を伝えないほうが楽」だからだ。

 

期待を明確にすることは、とても勇気のいることである。

なぜなら、お互いの相違点を直視し、双方が納得できる期待像を打ち出すよりも、

まるで相違点がないようなそぶりをし、最終的には何とかなるだろうと

思い込む方が楽だからである。

 

そんな重い話なんてせずに、なんとなく波風立てずに過ごした方が楽だ。

 

でも、それで自分の心に蓋を閉ざして生き続けると、

いざ、本当に大切な話をするときに、気持ちを伝えるのが億劫になってしまうし、

自分が自分で無くなってしまうことに多くの人は気づいているはずだ。

 

 

この期に、

定期的に相手の期待を伝える関係性を作ってみてはいかがだろうか。