日々の思考の積み重ね

家電メーカー企画マンの独り言ブログ

持論がある人とない人の差は圧倒的

持論を持て、というわけではないが、持論を持つことの重要性は近年高まりつつあると感じる。

 

まず持論とは

持論=(一般的知識+個人的な経験・体験)を体系化したもの

 

であり、自分の歪んだ思想を反映した独断や偏見という意味ではない。

 

で、ご存知のように、情報爆発の昨今、「情報を知っている」という価値は下がってきており、情報の知識を活用して如何に新たな意味を紡ぎ出せるか、また、新たな価値を作り上げられるか、に重要性がシフトしつつある。

そして、付加価値を生み出す源泉は、持論を持つことと大きく関係している。

 

たとえば、リーダーシップにおいて、リーダーシップについて何も勉強したことがないAさん。

Bさんはリーダーシップとは何かを勉強しており、「リーダーは魅力的なビジョンを掲げ、メンバーを引っ張ることが重要だ〜」と一般論は知っている。

一方、Cさんはリーダーシップの一般論を知っており、かつ組織でそれを実践したが、皆から反感を得て、昔失敗した過去があり、

どうやって皆の感情を汲み取りながら、ビジョンを伝えたら良いか、独自の方法論を体系化している。つまりCさんのみリーダーシップにおける持論を持っているのだ。

 

仕事は実践力であり、Aさん、BよりもCさんの方が組織でリーダーシップを発揮できることは言うまでもない。

(では、AさんとBさんはどちらがいいの?となるが、それはケースバイケース。フラットな視点で対応できたAさんがうまくいき、逆に知識があったBさんがそれが足枷となり失敗するケースもある。もちろん逆も然りだが、今は置いとく)

 

 

ここで大切なことはCさんが持論を持てたのは、知識を持つことに加え、以下二つの重要なアクションを行なっている。

 

①自分が持つ知識を実践してみて、それにより失敗成功含めた体験を有したという、

 行動体験があったこと

②また、その具体的な体験と知識を合わせて体系化するため(持論を持つため)の

 思考時間を作ったこと

 

つまり、持論を持つということは、知識自体を鵜呑みにしている頭でっかち君ではなく、知識を持ち、それを実践して、かつ自分の体験値と既存の知識を含めて多面的に現象を分析し、それを抽象化する能力があることなのだ。

持論を持っている人とそれを持っていない人の差はここまで大きい。

 

また持論を持つための重要スキルである抽象化も21世紀の必須スキルである。

抽象化とは、具体化の逆であるが、その本質は、

 

「とある具体的な現象の本質をもう一段上のレイヤーで見極め、言葉で定義付けできること」である。

 

抽象化できるスキルがあると、以下のメリットがある。

・能力成長

 自分のスキルを客観的に把握し、もう一段上のスキルへと導くためには、どんなスキルとスキルを掛け合わせたら良いのか、を考えられる

・再現性

ある事象や自分のスキルを抽象化し、言葉で定義しておくことで、それは自分の血肉となり、再現性が高まる

マーケティング

 ある市場のトレンドを分析する際に、その業界に起こりつつある具体的な事例を多面的に把握することで、その本質を抽象化で導き出し、一見その業界とは全く別の業界に共通点を発見し、世の動きを予測することができる

 

・問題分析

ある現場の課題をバリューチェーントータルで分析し、本質的問題発見ができる

 

・人材仲介としての触媒

あの人とあの人が出会ったら面白い、と気づける能力。その人のスキルが全く別領域で活かせるかも、と気づける能力

 

などなど。

 

だから持論を持とうとするだけで、こんだけ波及効果はあるのだ。

ぜひ、皆さん持論を持ちましょう

 

このブログ自体が持論じゃないやん、というクレームは受け付けません笑

 

以下は適当に自分の持論を論じた記事

 

 

taitaitai.hatenadiary.jp

 

 

taitaitai.hatenadiary.jp

 

 

 

 

 

運の掴み方は試行回数と勝ち筋を持つこととリスクヘッジが大切だよ

最近運がいい。理由はよくわからない。

が、運気が上がってきているのは確かだ。

 

もちろん、運がいい時もあるし悪いときもある。

常に人生山があったら谷がある。

 

しかし、我ら人間は生まれてからずっと、常に死と

隣り合わせで生きており、生きていることは死の準備をしていることと同義である。

そして、死の準備とは、与えられている生命を最大限活かすことであり、そのためには、運を効率的に活用する必要がある。

 

 

大切なことは、できる限り運がいいときは調子に乗って前に進む。全力で漕ぐ。いける所まで行く。この時どれだけ進めるかが大切。

麻雀でも運がいい時にどれだけ無双を続けられるかだ。

どうせ運がいいのは長くは続かない。そのあとは逆風に耐える時期が必ずくる。

だから、運がいい時にできる限り進んでおけば、その分ゴールにも早く到達できる。

 

さて、これまで自分は何回か、運がよかった、と思ったり、運をうまく掴んだな、

という経験があった。

なので、その時のことを思い出しながら、どうやったら運を掴めたのかまとめておいて、今後の人生に生かしたいと思い筆をとった次第だ。

 

 

①スポーツ編

かつて、自分の中でレギュラーを掴んだ転機となった試合は二回あった。

いずれも練習試合の時に、レギュラー部員の怪我、もしくは人員不足で補欠の自分が

その代わりに出場し、結果を残した時だ。

その時の試合の心境はどちらも覚えている。

「ミスをせずに点を取る」と言うシンプルなことをどうやって実現するか?だけだ。

 

理由は単純で、ミスをした時点でやっぱりあいつは使えない、という強い印象を残してしまう。ミスをしないのは当たり前、その上どうやって点を取るという結果を出すかが肝だ。ただし、びびりすぎて積極的にいかなければ、ミスはしない代わりに点も取れない、そのバランスが大切だ。

結果、その時の自分は、周りのバランスや動きを考えながら、80%程の時間を周りを生かす黒子に徹し、一方勝負所では積極的に勝負を仕掛けていた。

かなりのメリハリであった。で、それがうまくいっていたのだ。

この時の自分の心理、思考は、まずは冷静であったこと。そして、勝負所の見極め、これは自分の得意プレーを確立しており、それで勝てる瞬間を知っていたことである。

つまり、運を掴めた理由は普段の努力は当たり前だが「常に冷静に状況を見極めつつ、自分の得意な領域を見極め、いける所では大胆に勝負を仕掛ける」というマインドセットを持っていたことである。

 

②研究編

続いて、自分の大学研究時代の3年間を考えたい。特に修士のラスト1ヶ月で、全く成果が出ず、もう終わったかと、思っていた自分であったが、修論提出三日前くらいに奇跡的にある成長条件を発見し、結晶成長が成功した時にこと。

この時は、もうこれでダメならしょがないと、割り切り、ほぼ一週間寝ずにぶっ続けて実験をしまくった。そして成功したのだが、これま神様からの成功と思いきや、今振り返ると超越した集中力を発揮していた気もする。ただ、この時の自分は

特に参考文献も漁らず、自分の考えと経験だけで進めていたが結果的にそれがよかったのかもしれない。

ここでは「未知なものに対しては量と自分の経験、感を信じる」という運の掴み方があったようだ。

 

③入社編

入社後の配属面談で「一番厳しい部署でお願いします、後が楽なので」と言ったわけだが、結果的にこれが正解であった。商品企画の世界にいけて、自分の適正に非常にマッチしていると感じた。これがもし開発やら研究であったら、全く今の自分は想像できなかっただろう。

 

ただこれも当時読んでいた本で、どこかの偉くなった人の過去のエピソードを真似しただけであった。

だが、そのどこかで読んだ本の一部を覚えており、かつそれを本当に実践する人は1%もおらまい。勿論実践したのも自分の過去の経験から逆境を経ることで、大きく成長できることを感じていたので、この発言を自分も入社したらしようと強く思っていた、という節もある。

ここでは「自分が良いと感じたことは強く記憶に残し、かつそれを実践的に使って行く」という思考回路を持っていたことが運を掴んだ理由だ。

 

④カジノ編

韓国でぼろ負けした自分は、そのリベンジ編として、マカオでの勝利を誓った。

しかし得意のルーレットで苦戦を強いられ、途中残金10$まで追い込まれたが、そこから奇跡的な逆転劇で、プラス500$くらいまで持ち返した。

額としてはしょぼい。なので最後の帰り際に、白に一点掛けで稼いだ金の半額を掛けた。

韓国でも同様に一点全がけをしたが、その時は全部持ってかれた。この時のショックは半端なかった笑

しかし、韓国の敗退で学んだのは、ディーラーは確実に目をコントロールできるということ、そして負けたときに致命傷にならないようにすること。

そこでマカオの一点がけでは、周りの状況を見ながら、まずは自分が一番大金をかけられる状況を見極め、その時にルーレットを回す前から明らかに白一点掛けを目立つように行った。当然ディーラーは自分を殺しにくる。そしてルーレットを回した瞬間に白から赤に全て入れ替えた。

玉は赤に入り、見事倍額を得ることが、できた。この時の運の掴み方は

「過去の失敗を生かし、それを未来に行動として勇気を持っておこなこと」である。

あとは、致命傷にならないリスクヘッジも大切だ

 

⑤コミュニティとの出会い編

今自分が参加しているオンラインサロンのコミュニティがある。

これはたまたま書店に行った時、なぜか非常に目についた本があり、その本の著者がサロン運営者であった。

考え、理念に惹かれ、即刻入会し、いまは素晴らしい仲間と出会い、ビジネスの幅も広がっている。

この書籍との出会いが無ければ、と思うと怖くなるときがある。しかし、なぜこの書籍を手にとったかというと、自分の目指すべき方向を持っていたからであった。そして自分は目指すべき姿に貢献できる情報源にはお金を惜しまない、と決めている。

このことから

「自分の理想に近づくための情報源との出会い」「直感で良いと思ったら飛び込む勇気」 

 

 

⑥プロジェクト編1

4年間鳴かず飛ばずのプロジェクトであったが、ある人との出会いを機に、一気にことが進み出した。まさに芋づる式に人脈が人脈をつなげ、手助けを得ることが、話が進んで行った。これも非常に運がよかったと思っていたが、それまで多くの人にプレゼンをしては、否定されるというのを繰り返していた。

そして、たまたま興味を持ってくれた人がいて、その人から芋づる式にどんどん進んで行った。

 

ここでは、「多くの試行を繰り返し、その伝手を貪欲に生かす」

 

⑦昇格編

一応会社では最速で主務になったが、あれも運がよかったな、と当時は思っていた。

 しかし、これも何らかの運の法則を見いだすなら、周りの方に最大限にお世話になったことがあげられる。パワハラ上司にオラオラ言われながら、必死に昇格試験の準備を行ったのはいい思い出であるが、これは周りの上司にコミットしてもらえた運があったのだろう。「いざという時に人に助けてもらえる」これは大切な法則かもしれない。

 

⑧プロジェクト編2

もともと企画を考えるのが好きで、自分で考えた企画を社外にヒアリングをしまくっていた。結果的にその企画の多くは死んでしまったが、その時知り合った人の紹介で、別の企画を支援してくれる優秀な人と出会うことができた。

「自分の考えを発信し、人を巻き込んでいくことで、人と人がつながりご縁が巡ってくる」という法則はありそうだ。

 

 

以上、まとめると、自分の中の運の掴み方は、

・色々考え、人よりたくさん試行を行うと、自然とご縁が舞い込んでくる

・しかし、色々考えるためには自分の中にビジョンが必要。

 ビジョンを常に持ち、理想の自分に近づくために情報収集を怠らない

・人生の勝負どころでは、自分の強みを理解しておき、リスクヘッジはしっかり取りながら、自分の強みで勝負を仕掛ける。

その時はできる限り自分の培ってきた経験を信じる。

・時には直感を信じ、飛び込む

・いざという時に助けてもらえる環境や人脈を作っておく

 

 

水をやらないトマトが甘くなるように、潤沢な資金のないプロジェクトは尖るし、ギリギリの状態に追い込まれることで人間は強くなる

今日は4/1 日曜日。

日曜日の夜10時というと、明日からのことを考えほとんどのサラリーマンは陰鬱な気分になっていることだろうが、今日に限ってはその比率は少ないはずだ。

それは

明日が入社式だからだ。

おそらく世の中の新入社員たちは若干そわそわしながら希望に胸を膨らましているだろう。

 

自分はかれこれ入社式は5年前だが、前日はFacebookにラーメン画像を上げてた記憶しかなく、入社式自体もただ眠かっただけだけだ。

その眠さは猛威を振るい、座学研修の2ヶ月は常に寝ていたし、そのあと1ヶ月の工場研修も眠くてラインに立ちながら寝ていて倒れそうになったりしていた。

 

さて、そんなことを思い出しながら、もし今、多少社会に出て時間を経た自分が、

新入社員に一言だけ何かしらのメッセージを伝えられるとしたら何を伝えるか?を考えていた。

それがタイトルの言葉だ。

 

 

トマトの話はよく言われることだが、トマトは水を与えすぎると甘くならない。

逆に水をあげずに枯れる一歩手前の状態に置いておくことで、

トマトは自力で糖分を生み出せるようになるらしい。

すごいよね。

 

旧日本軍が硫黄島での戦いでアメリカ軍を手こずらせたように、人間は少ない資源、人員、過酷な状況の時に知恵を振り絞り普段の何十倍もの力を発揮することができる。

それはまさに仕事も同じであり、極限状態になったときこそ人間は進化できると感じている。

となると、本当に成長したいならば

極限状態に追い込まれるような場所を自ら選択していかなければならないし、

やる気のある新人にはそのような場所に飛び込んで欲しい。

 

そんなこと新入社員の僕たちにはコントロールできないよ〜と言われそうだが、

そんなことない。人事さんにお願いしたら良いのだ笑

 

ちなみに自分は爆睡していた研修後の配属面談で「最も厳しい部署でお願いします、早く成長したいので」とカッコつけて言ったら本当に厳しい部署に飛ばされてしまったが結果的にそれは正解だった。

 

なのでメンタルがぽきっと行かない程度に、ギリギリの状態に追い込まれる場所に身を置き、その環境を楽しんで欲しい。

 

二つ目は、プロジェクトの話だ。会社に入ったら様々なプロジェクトが蠢いている。が、プロジェクトとは名ばかりの、既存の延長線上にしかないくだらないプロジェクトばっかりだ。

明確な目的も戦略もなく、営業から要求があったり、トップからの要望で始まったプロジェクトは金はつくものの、パッとした成果は大抵出ない。

それは、そもそもの戦う場所が悪いというのもあるが、それよりも

担当者の覚悟が足りないことが失敗する原因だと感じている。

やらされ仕事のプロジェクトは絶対成功しない。

 

 

 

一方、仕事をしていく中で、自分が実現したい何かが、生まれてくる。

その種はなかなか人に理解してもらえない。

その企画は荒削りで、実現性はわからず、お客が欲しいかどうかさえもわからず、お金もないので試作品さえも作れない、

そんな企画であるが、

自分の主観がどっさり詰まった突拍子もない面白い企画で、ベテラン社員からは確実に思いつかない魅力的な企画である可能性もある。

 

数人に話をしてみて、コテンパンに否定されて、自分の仕事をやっとけ、と言われて、

諦める人がほとんどだろう。

しかし、その諦めない100人に一人の人間になってほしい。

 

資金のないプロジェクトだからこそ、自分で知恵を絞って試作品を作ってみたり、とにかく動いてみてプレゼンを繰り返し、人脈を広げていく。この作業を繰り返すことで必ず仲間は増えてくるし、プロジェクトの刃はますます磨かれ鋭利になっていく。

 

潤沢な資金がついているプロジェクトを横目に、このやろーと思いながら、自分の思いが詰まったプロジェクトが実現できるよう虎視眈々と努力を続けるのだ。

そうするとどっかのタイミングで花開く。必ず。そしてそれは人との出会いから生まれるケースが多い。

だから人との出会いは大切にしておいてほしい。

 

自分も入社初年度から構想を続けてきたアンダーグラウンドの企画がこの3月、ついにある展示会で出展できて、会社の本プロジェクトに取り上げられることになった。

はじめ4年間は全く報われなかったが、去年の秋頃から人との出会いで急速に実現に向かって弾みがついた。丸くない、尖っている企画だ。

 

まさに資金はゼロ、自己出費と自分たちの時間だけを注いできたわけだが、そのおかげで甘いトマトとなり縁ある人に収穫してもらうことができた。

 

胸おどる新入社員にこの「トマト理論」を送る言葉として届けたい。

 

ウェ〜い!後、同期は大切に〜tomatoだけに一生のメイトになるぜ〜

AIスピーカーはとどのつまりリビングには置かない方が良い

各社がアホみたいにAIスピーカーに自社の商品を繋げようとしたり、

自分たちで新たなAIスピーカーを作ろうと切磋琢磨している。

 

AIスピーカーを作ろうとしている狙いは様々あると思うが、概ね下記三つかなと思われる。

 

AIスピーカー自体の売上による儲けを狙っている

・リアルの顧客情報の収集により自社エコシステムのパーソナライズ化によるLTVの向上を狙っている

・顧客情報を食べることで自社AIの進化を狙っている

 

さて、自分はいち早く某A社のAIスピーカーを購入して使ってみたわけだが、

半年ほど使ってみて、これはかなり問題ありだと感じている。

 

なぜかというと、AIスピーカー自体に話しかける行為が若干家庭内に気まずい

空気を作り出しているのである。

ちなみに自分の家庭は、自分、嫁、そして子供(0歳)である。

 

結構自分にとって、AIスピーカーに話しかけるのは楽しみなことである。

たとえば、今日の天気教えて!とか、

おすすめミュージック流して!とか、

とか、まあ色々ある。

 

しかし、ルンルンで話しかける時の、自分に対する嫁の視線が圧倒的に厳しいのだ。

むしろ軽蔑しているレベルである。

 

そりゃその気持ちは分かる。自分は毎日家事、育児で忙しい。子供とはほとんど会話なんてできない。

旦那がやっと夜遅く、仕事から帰ってきたら、初めてと会話できるわけだ。

その大切にしている時間を、この旦那は訳のわからない機械にウキウキで話しかけて、一喜一憂している。わざわざスマホで調べりゃ分かることをこの男は機械風情に話しかけやがって、そんな時間があるなら自分に話しかけろボケ、と、そんなところだろうと思っている笑

 

ここはAIスピーカーの弱点である。

一つは、AIスピーカーとの会話がほかの人にまる聞こえであること、そして、

こちらの方が問題だが、結局AIスピーカーはモバイルの一対一の思想を引きずっており、空間ファーストに設計されていないのだ

これが一人暮らしの家庭なら別に問題なし。

しかし、いざ家族単位になってくると、リビングに置かれたスピーカーは、

家族が共有して扱えるものではないのだ。

 

なぜか?

家族ユニットにおいて、リビングの空間は家族の交流において最も大切な空間で

あると共に時間の取合いだ。

家族の食事、会話、TVを一緒に見る、子供の面倒をみる、など

一日多くても3時間ほどしかないこのリビング空間における時間の取り合いが行われている中、「AIスピーカーと会話をする」という行為は、あくまで話しかけた本人の自己満であり、家族となんら感情や体験の共有を行っていない。これはリビング空間の時間を蔑ろにしており、一つの罪である。

もっと言うとAIスピーカーに話しかけるということは、

話しかけた本人が家族以外(つまり機械)との時間を俺は優先している、ということを高らかに宣言している行為と同列なのだ。

それを一日に何度もできるだろうか?

いや、むずいよ。これは。

最近僕なんか嫁がお風呂に入ったタイミングで話しかけてるからね。

 

AIスピーカーは調和しているリビング空間の時間を破壊する力を持っているのだ。

逆にこれが機械の一つの限界であると感じる。

 

個人的には、リビングという空間においてはより適したUIが存在すると考えている。

その商品は、家族の時間を邪魔せずに、家族の交流や会話を自然に誘発させる価値を持っているものだ。

今はそんな商品を企画中である。打倒AIスピーカー

 

 

 

 

 

【新サービスを考える上での焦点】自分が訪問した場所を共有できるSNS

SNSもニーズが細分化してきたのか、様々なサービスが立ち上がりつつある。

例えば、恋愛マッチングサービス「ペアーズ」の派生系として、

自分の好きな料理を選んでいき、その好みが合う人同士をマッチングさせるサービスなんかもある。

さらにその料理の中でもピザに特化したマッチングサービスがあったり。

今のSNSのトレンドは、既存サービスのカテゴリーを細分化、もしくはずらしていき、その尖り具合が差別化ポイントになってきているようだ。

 

今回は、そんな流れに乗りながらも一味違うSNSを紹介したい。

 

www.glintter.com

 

イギリスで立ち上がったGlintterというサービス、これは「自分のオススメの場所」を共有するSNSだ。

自分が訪れた素晴らしい景色の観光地や、美味しいレストラン、行きつけのジムなどをアドレスブックに保存できる。保存情報は自分が見返せるだけでなく、友人とも情報がシェアがさせるので、仲の良い友人のオススメ場所を知ることができるのだ。

 

また、検索機能もあるため、例えば自分が大阪出張の時に、検索で「大阪」を

入力すると、大阪中における友人のオススメ場所を知ることができるのだ。

それを見て、夜ご飯の串カツ屋を決めても良いし、空き時間にオススメの美術館なんかに行っても良い。

 

友人の口コミ情報なので情報としては信頼できるし、次にその友人に会った時の話題にもなる。友人も中途半端な店なり場所を保存していたら、自分の信頼が疑われるので、

真剣にオススメポイントを選ぶはずだ。

また、たくさんオススメ店を共有しておけば、自分の店に行ってもらう確率が高まるし、その店に行ってもらうほど承認欲求が満たされる。

そのあたり設計も巧みであると感じた。

 

個人的にこのサービスの最も大切なポイントは、リアルな場において何気ない楽しいツールとして使えるところだと思う。

例えば、自分と友達とで、共通の友人Sがオススメしている場所を順に調べて行くだけでも、「あいつこんな高い店行っているのか!?」とか「意外に多趣味なんだね」みたいにSの話で盛り上がること間違い無いだろう。

 

昨今、無償の楽しいサービスはスマホを開けば腐るほどあるし、ユーザーが複数のサービスを同時に使いながら過ごすのは当たり前になってきてて、そうなると如何に自分達のサービスを買ってもらうか、よりもそのサービスを使ってもらう時間を伸ばすことの方が重要となる。(導入してもらっても使ってもらわなければ意味がないしね)

過ごしてもらう時間が長いほど、そのサービスに対するエンゲージメントが高まり、顧客により大きな価値を提供できるからだ。

 

そう考えると、ただ一人自分で使うだけでなく、人と共有するアイテムとして使ってもらうことがユーザーの時間シェアを高める上での大切な焦点となる。そこにリアルな人とのコミュニケーションや楽しさが生まれ、インセンティブになるからだ。

 

そのいい例が「みてね」というサービスだ。

mitene.us

これは家族の写真共有アプリだが、僕の両親はいっつも孫の写真を二人で楽しみながら眺めているという。あーだこーだ言いながら。

これは孫の成長を知ることができるだけでなく、夫婦二人で楽しむ時間というものも同時に作り出しているのだ。

 

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スマートフォンが広まり、モバイルサービスが増えてきたことで一人でスマホを眺めているだけで、一日中時間を潰せる時代だ。

でも本当にそれが幸せなのか?スマホに一日中かじりついてしまうと、

本来最も大切である人と会話をしたり、体験を共有する時間というものに億劫になってくる。

その危うさに薄々気づいてきた人、そして、その彼らの潜在的な不満を解消できるようなサービスによって、「あ、やっぱり人と過ごす時間っていいな」と、そんなきっかけ作りができるサービスがこれから花開く時代になる。

 

「君の名は」がヒットした理由

正月に「君の名は」が地上波でやっていた。

自分は映画館で1回見ていたが、2回目であるこの放送もかなり楽しむことができた。

と言うか、なんか映画館で見たときよりも面白くない?と思ってしまった。

2回目にも関わらず僕の心をドキドキさせ、その伏線の多さや映像の美しさ、

声優の声の抑揚などなど、染み出してくる面白さがたくさんある。

これは巨匠宮崎駿ジブリシリーズを見ている時と同じ感覚であった。

毎回ジブリ金曜ロードショーで見るとついつい面白く最後まで見てしまう、

あの感覚だ。

 

そして、面白いことに、僕は「君の名は」を録画していたのが、

今日まで繰り返し、なんと5回も見てしまっていた。

わずか一週間で5回という圧倒的気持ち悪さはさることながら、 

まあなぜこんなに見たかというと、勿論映画自体が面白い、というのもあるが、

なぜこれほどまでに面白いのか、ということを分析したかったからだ。

 

そしてこの面白さの源泉は、「時間軸における情報量の設定がうまい」

これに尽きると感じた。

もう少し詳しくいうと、

「短い時間軸の中で見る人の感情のアップダウンを起こすコンテンツ量(映像、ストーリー)の設定が絶妙にうまい」である。

 

 

一個具体例をあげると、映画の序盤で二人が現実世界で本当に入れ替わっていることが発覚し、お互いの生活の苦労が描かれるシーンがある。

この場面は有名な前々前世が流れるシーンであり、映画としては序盤なんで観客をここで一気に引き込む必要がある。

時間でいうとこのシーンはわずか5分くらいしかないが、この五分間の間に大きなアップダウンが二回ある。

この五分の間、前半部分は入れ替わってることでお互いの不便な描写を描いている、

例えばトイレに困ったり、みつはの組紐に苦労したり、東京で道に迷ったりなど。

 

しかし後半はお互いが入れ替わった生活を何気に楽しんでいる、という描写に変わっている。このわずか短い時間の間に観客は

「二人は苦労をしてるな〜心配!」というネガティブな感情とそのあと、

「お!なんだかんだ上手くいきそう?」というポジティブな感情を行き来することに

なる。つまらない映画はだらだらと同じようなテンポで進んでしまうが、

この映画は非常に短い時間で見る人の感情の起伏を作っているのだ。

ちなみにラストシーンの二人が階段で出会い、一瞬すれ違いそうになりながらも

瀧が声をかけるシーンにもアップダウンが行われている。

 

ここでハッと思ったのだが、これは感動するプレゼンの条件と合致している。

キング牧師スティーブ・ジョブズのプレゼンがなぜあれほど感動するのか?

の理論をまとめた本に書いてあったのだが、彼らのプレゼンは

現実の不満⇆理想の世界

 の説明を何度も行き来しており、それゆえ聴く人はプレゼンに引き込まれていく。

 

 

「君の名は」もこのプレゼンの理論に則っており、さらに映画の起承転結全てのシーンにおいてこの理論通り、感情の起伏を起こし続けている。

それだけコンテンツ量とその設計がうまいのだ。

 

さらにこの情報量を生み出すためには、映画のストーリーやテーマも重要である。

君の名は、はSF系ファンタジーとヒューマンドラマ(ラブロマンス)が合わさってる。

たいていの映画はどっちか一個に偏っているが、君の名はほぼ比率が50:50くらいだ。

 

なので

SF面での感情の起伏:隕石が落ちて村が滅びる!と、

ヒューマンドラマ:二人は出会えるのか?ドキドキ、

という二つの側面で感情の起伏を作ることができるので

普通のドラマの2倍ドキドキできるわけだ。

 

多分普通の映画監督はこの比率をどちらかに偏らせるのだと思う。

なぜかというとその方がストーリーを作りやすいからだ。

例えばクソ映画であったテラフォーマーズ、あれなんかはSF:ヒューマン=90:10である。あの映画はああいう映画だから良いが普通の映画はあんな感じでどっちかに

偏っており、逆に中途半端なヒューマン性があったりするから、興ざめしてしまう。

 

今までの常識にとらわれずチャレンジした新海監督の心意気とさらにそれを絶妙な流れにまとめ上げた手腕はあっぱれである。

 

そう結論を言うと

コンテンツ量が多いため、短い範囲で見る人と感情の起伏を作っているから、

そしてそれを織り成すストーリーの構成要素がSFとヒューマンドラマが50:50で織り合わさっているため、二倍ドキドキできること

 

だということなのだ。

ところで海外では

your nameって映画名が表記されてるらしいが、いいよね、このシンプルな感じ

祖父の話 昭和の起業家

いつか書こうと思っていた祖父の話。

現在齢95歳だが、今も元気で過ごしている。

かなり耳は遠いが、戦争を生き抜いてきただけあり、足腰はしっかりで、

未だに僕と会うたびに仕事の話を楽しそうに聞いてくる。

 

祖父は戦争時代、多くの軍人が敵兵にやられる、もしくは病気や餓死で亡くなった

陸軍であったが、その中でも通信隊というポジションであったため、

比較的リスクが低い戦場で戦うことが多かったらしい。

なぜ祖父が通信隊に入れたかというと、軍に入隊した際、

「この中で電気系の知識があるものはいるか?」と言われた時に咄嗟に手を挙げたためらしい。

祖父にこの話を聞いていると、電気の知識なんてバイトでかじった程度しかなかったらしいが、直感的に通信隊の方が良い、と感じて志望したらしいのだ。

結局この時の判断で祖父はリスクを回避しながら戦えたらしく、改めて咄嗟の決断力と

行動力が大事である、と感じる次第である。

 

 

祖父は20代の前半数年を戦争という熾烈な体験を行い、命からがら戦争から帰ってきたあと、住友系の金属メーカーで少し働き、その後会社を興した。

僕はもう何百回と祖父の戦争話は聞いているが、祖父の起業話は数十回しか聞いたとがない 笑

おそらく戦争の方がインパクトが強すぎて、起業して会社を興した話は、まあそれなり、というこのなのかもしれない。

 

戦争話もかなり面白いのだが、なかなかこの起業話も面白い。

 

 

 

 

 

 

祖父はもともと香川の漁師の生まれであった。

香川の漁師は昔は栄えていたらしいが、製紙工場の影響で海が汚れ、

漁獲量が減ったために、職として続けて行くのは厳しくなってきた。

そこで香川ではもうやってられん、ということで戦前から岡山に移り住んだのだ。

しかし、戦争が始まってしまい、何年か死ぬような思いを経験し、

日本に帰国後、当時技術スキルがあったため、金属メーカーで働き始めた。

しかし、しばらくして祖父のお兄さんから会社を起こさないかという依頼が持ち込まれた。

 

何の会社か?

それは「ジーパン」であった。

当時ジーパンなんてものは??であった

ジーパンはアメリカではポピュラーな履物で、これから日本にも確実に普及する。とのこと。

そんな未来が祖父にも見えたのだろうか、祖父は会社を辞めて、兄弟3人でジーパン会社を興した。

 

 

 

しかし戦後はとにかく物資がなく、正規のルートではジーパンを作るための布を得ることができなかった。

そこで闇市にいき布を入手するのだが、岡山の闇市ではその布は入手することができず、少し離れた闇市まで機関車で買いに行っていたらしい。

しかし、普通に布を入手して機関車に乗ったら、岡山に到着後検問で引っかかるから、

機関車の乗車途中で川辺に購入した布を投げ捨てるのだ。

 

それを弟の祖父が拾って、すぐ家に持って帰り、奥さんが一晩中ジーパンを縫い続けた。

当時は材料を得るためだけでも必死だったのだ。

そして、その作ったジーパンを街に持って行くと飛ぶように売れたらしい。

何より着るものがそもそもなかった時代らしいから、それは圧倒的な需要であったとか。

作れば作るだけ、売れる、これは何ともたまらない。

 

しかし、事業が乗り始めると今度は警察に目をつけられた。

ジーパンを売っている祖父が捕まり、

「どこで布を入手したか吐け!」

と取り調べにあった。祖父はもし口を割ったら、ジーパンを作ることができないと、

絶対に口を割らなかったらしいが、そのおかげで警官にボコボコにされ血だらけになったらしい。

まあ昭和の時代だからがなかなか壮絶である。

そんなこんなことがたくさんあったが、なんとか事業を続けることができ、次第に店舗を開設したり、工場を作ったり、さらに事業は成長していく。

そして時代は高度経済成長に入り、欧米化がますます進み、祖父のジーパン会社は時代を謳歌する。

祖父が社長を引退後、後継者が事業を失敗し会社は傾くも、何とか今も生き残っている老舗ブランドである。

 

 

 

 

祖父は未だにいろんなことに興味しんしんで、

病院に行って見ず知らずの女性が横に座った時に、

そのジーパンの柄があまりにもおしゃれで、どこでそれを買ったのか?と食いついたり、タッパーをみじん切りにして処分できる商品を開発してほしいと僕に頼んできたり、年齢を重ねても常に好奇心を忘れていない。

この前は「まず工場に行ってすぐ物を作ってしまえば良い、そのように自分で動いていけ」と言っていた。

 

 

数年前、祖父に「おじいちゃんは仕事をどれくらい頑張ったの?」と聞いて見たことがあるが、

一呼吸置いた後「まあ、頑張ったな〜」

と大変苦しい表情を浮かべながらも、何とも言えない満足感が垣間見える笑みを浮かべながら答えた姿を見て、自分も最後にこう言える人生を歩みたい、と素直に思った。