黒澤明の生きるを見て、喉元過ぎれば熱さ忘れる人間の弱さと良さを痛感した
黒澤明監督の「生きる」を見た。
時代は変わっても、今の時代と問題は変わらないなと思う反面、
意外だったのは70年ほど前の日本でも同様に
「仕事にやりがいを感じられない」という心の声があったのか、ということであった。
この映画は1953年公開である。
しかし、この時代背景としては、戦後間もないし、
みんな生きてるだけで儲けもの、それこそ働くことに全ての人が生き爛々としている、
と思っている時代だと思っていただけにびっくりであった。
生きるの主人公の職場が公務員だったということもあるのか?
この映画で、黒澤明監督は何を描きたかったのか、
もちろん、
人間死を意識したら素晴らしい力を発揮できる、
や
普段健康で生きていることに対してのありがたみを感じてほしい
という一面もあるかもしれない。
が、僕が思うに黒澤明がもっとも伝えたかったのは「人間は喉元過ぎれば熱さ忘れる」どうしようもない生き物であり、それはまぎれもない事実である、ということであるだろう。
戦争で死ぬような思いをしても、みんなしばらくしたらその辛さを忘れる。
震災もそう。
肉親の死もそう。
最後の主人公の葬式で、主人公の行動に感銘を受けた会社の人間が
「これから心を入れ替え頑張ろう!」
と誓うが、今まで通り仕事をたらい回しにする最後の結末、ワンシーンがそれを物語っているだろう。
この映画を作ろうと思った当時、黒澤監督の目には日本が平和ボケしているようにも感じたのではないか?だからある意味アンチテーゼとして、生きる、を作り、もう一度みんな戦争で亡くなった人たちのことを思い出せ、というメッセージが込められていると感じた。
人間はある意味、本当に都合のよく忘れられる生き物なのである。
それが人間の良さであると思う。
だから、同じ過ちを繰り返してしまうのだが。