【思考術】コト発想はもう古い。これからはビジョン発想の時代となる
ビジョン発想とは何か?
結論から言うと、
ヒトはどうあるべきでどんなことに幸せを感じて欲しいか、など自分の理想世界を追求する極めて個人の主観的な新商品発想方法であり、
従来のモノ発想やコト発想とは一線を画する。
そして、今の世の中ビジョン発想のサービスは需要に対して供給が圧倒的に追いついていない。
今日はそんなビジョン発想について論じたい
1、マキシマイザーという現代の病
マキシマイザーとサティスファイザーと言う言葉を聞いたことあるだろうか。
マキシマイザーとは、物事を決断する際、様々な選択肢を考慮し最善の選択を選ぼうとするスタイルの人であり、
かたやサティスファイザーとは、選んだり考えたりすることにあまり時間を使わず、
直感的に決断する人のことだ。
この二つのタイプでは、実際にマキシマイザーの方がサティスファイザーよりも優れた決断をするケースが多いが、マキシマイザーの方が選んだものに対する満足度が総じて低いというデータがある。
そしてあらゆる情報にアクセスしやすくなった現代は、
あらゆる人がマキシマイザー的になりやすい環境である。
皆さんも思うところがあるはずだ。
ペアーズで色んな男性に会えば会うほど虚しくなるように。
現にフェイスブックやインスタの利用時間が長い人ほど幸福度が下がる
データがあるが、それも人と自分を比較して幸福度が下がってしまうわけだ。
そしてマキシマイザー化が進むことで、何が起きるかと言うと
・自分の人生に自信が持てなくなる
・日々の生活に満足感が得られにくい
と言う現象が起こる。
その結果、
「平凡な日常生活の中で生きがいを感じたい」病になる。
生きがいとは自分の人生の目的意義である。
そしてそんな目的意義を満たしてくれるのが「意味あるサービス」である
2、意味あるサービスは「Why」が肝
意味とは個人の解釈である。
ポジティブシンキングの人は物事を肯定的に解釈する。
逆境を光機ととらえる人もいる(アパホテルの社長だね)
意味あるサービスとは、
自分の生活に新しい解釈を与えてくれるものである。
だからそのサービスを選んで使うことで、
日々の生活に刺激が生まれたり意義が生まれたり、人生を主体的に生きてる気になれる。
メルカリで日本の古着廃棄ロスに貢献してる気になれたり、エアビーで外人と交流が生まれたり。
最近浅草のストリップ劇場に女性客が訪れるらしいが、これも批判的視線を浴びる女性が主体的に演じている姿に「主体的に生きてること」に感動したいだけである。
そして意味あるサービスが内包するものは
・そのサービスを使うことで生活に新たな意味づけができること
であり、そのためには
・そのサービスがもたらす変化
が大切なのだが、そんなサービスを生み出すマーケティング側の立場としては、
・何故そのサービスが必要なのか?
という哲学的思考とビジョンが必要になる。
人間は本来どうあるべきか、どんな体験を得るべきなのか、
何が正しいか、何が好きであって欲しいか。
そして最も大切なことはこのWhyに繋がる視点は、
ユーザー観察からはうまれず自分の内発性や自己欲求から生まれると言うことである。
3、中から外へのイノベーション
従来のもの発想やこと発想はユーザー起点であり、人の観察からインサイトを引き出しサービスを考えていた。アプローチとしても大量のアイディアを出し、その中から一番良さげなアイディアを選ぶ方法である。今まではこれで正しかった。
しかしこの問題解決型のアプローチではたくさんのアイディアは生まれるが、それを価値あるものにできる解釈を与えられない。
なぜならその起点は内発的なものだからだ。買収した企業の価値観を自社色に染められないのと同じことである。
しかし、意味あるサービスはユーザー観察からは生まれない。
ユーザーを見てるだけではあるべき論は生まれないからだ。
自分の中で深く考え、煮込み、その深い考え方を持つ、そしてそれを数人の仲間とぶつけ、批判しあい、また考え込む、と言う、過去哲学者たちが街頭や店で仲間とぶつけあったようなアプローチでしか生まれない。
じっくり自分の中で煮込んだあるべき論やアイディアを形にして人にぶつける。
これが中から外へのイノベーションである。
量の時代から質の時代へ、協調の時代から批判的対話の時代へ、多数の議論から少数のビジョナリーの議論へと変化する。
4、ビジョン発想
この意味のあるサービスを生み出す思考法こそ、ビジョン発想である。
人々がどうあるべきか、どう生きるべきか、どんなものを愛して欲しいか、
これは既存サービスという範囲の中で試行錯誤してたもの発想やヒト発想とは異なる、一つ上位レイヤーの考えであり、
社会情勢や現代人の心の機敏な変化、日常の違和感や自分の信念など、
深く人に対する理念や洞察が必要になってくる。
日常の何気ない景色のワンシーンを無駄に思うか、きっかけに変えられるか。
たとえば、屋外街頭広告を景観を汚すといって辞めてしまえというのか、
上を見上げる機会が増えるので空の美しさに気づく人が増えるというのか、
これが解釈の違いであり、意味付けである。
屋外広告の企画者ならどうやったらみんなが屋外広告を愛してくれるか、
という自分の内なる想いを伝えられるかが肝となる。
たとえばカメラの商品企画者なら、
カメラの画素数やレンズ性能で勝負するのがモノ発想、
カメラの写真共有により楽しい会話のきっかけを作るのはコト発想
カメラ撮影の目的を再定義するのがビジョン発想である。
例えば、カメラで撮った写真を一つの物語にできるサービス。
何時間も絶妙なシャッターチャンスを仲間たちと探し続ける旅自体のサービス。
創造性あふれるクリエイター達とのアートコラボレーション。
これからの商品企画者にはビジョン発想の視点が求められる。