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なぜバチェラーは面白いのか?適切なルール設計が企画のクオリティーを高める

前のブログでは、バチェラーから学んだ大切なことを記しておいたが、

続いて今回は、なぜバチェラーが面白いのか?

について個人的な見解を示したい。

 

主な理由は下記三つであると思う。

 

①女性達に設けられた制約条件

 

②誰が切られるか予測したくなる中毒性

 

③刺激に慣れた現代人に突き刺さる非日常設定

 

以下順に説明したい。

 

 

①女性達に設けられた制約条件

ただでさえ、女性たちは厳しい。24人も敵がいるのだ。

 

基本デートには全員参加ができるわけではない。

グループデートも多く、バチェラーと話せるのは1デートでわずか10分もないだろう。

さらに24人の女性達の目もあるため、思ったように行動ができない。

 

たとえばもしこのバチェラーが男性も25人いたらどうだろうか?

ただのお見合い番組になってしまい、そこには競争もドラマも生まれにくい。

しかし、一人の男性を女性が奪いあう、

この制約条件がこの番組を面白くしている最大の要因である。

枯れそうなギリギリのトマトに水をちょっとづつあげると、

トマトが最も美味しくなるように。

 

さらに

ゼロサムゲームである点も良い。要するに得るか、全てを失うか、0か1しか女性陣は

ないのだ。

さすがアメリカである。

普段から金の取り合いをしている彼らが好みそうなルール設定である。

 

 

誰が切られるか予測したくなる中毒性

続いてこの点も醍醐味である。

この番組は是非複数の人で見てほしい。

女子寮なんかで見たらめちゃめちゃ盛り上がるのではないだろうか?

 

毎回、この番組の最後には、ローズセレモニーと言って、次のステージに選ばれる女性が確定される。

この方針はブレない。

そして毎回ここが一番盛り上がるわけだが、

皆誰が残るか予測をして、バチェラーの決断に一喜一憂するだけだ。

 

誰が残るか当たったら嬉しい。

自分の推している女性が残っても嬉しいわけだ。

毎回、自分の投資する株の値動きに一喜一憂するデートレーダーさながらである。

 

またこの行為は、

謂わば毎回視聴者は自分の仮説を持ち、それを番組の最後で検証しているのだ。

 

 

この仮説が当たる、もしくは裏切られる。どちらも強い刺激があるが

これがどうやら僕はギャンブルに近い気がするのだ。

 

ギャンブルのように外れても金銭的な実害があるわけではないが、番組自体に感情移入してしまうと、毎回最後には強いショックと快楽を受ける。

 

ギャンブルも自分の仮説が当たっても(たとえば競馬や競艇なんかは近い)外れても強い衝撃を受けるが、その刺激構造がバチェラーは近い。

おそらくそこまで考えて企画者は設計している気がするのだ。

 

そう思うと、

バチェラーの番組に限らず、

これからのサービスには、この「仮説」「検証」「衝撃・刺激」という一連の思考設計があると流行るのではないか?と思ったりした。

これはサービスが飽和していく社会になるにつれ、今後ますます増えていくことが考えられる。

 

③刺激に慣れた現代人に突き刺さる非日常設定

最後にこれだ。

毎回のデートが非日常的すぎるのだ。

新宿のロボットレストランを貸し切ったり、

沖縄の水族館を貸し切ったり、(アホか!と言いたいが)

富士山の麓のキャンプスポットを貸し切ったりと、基本貸切なのだ。笑

 

これだけ刺激な強い毎日に生きているとなかなか刺激を感じないが、これは実に良い非日常空間を設計している。

 

 

以上、この3点から、僕はバチェラーがバチェラーたらしめる所以だと感じている。

つまり、早くシーズン2が見たい。それだけである。