余白の大切さ
例えば、言葉で全てを語る必要がないときがある。
言葉の中に余白を作っておくことで、
より多くを、相手に伝えられることがある。
先日旅行で京都のお寺の美しい庭園に行ったが、そこにも余白があった。
あえて敷地に余白を残しておくことで、
変化の自由度が高まり、春夏秋冬の変化を楽しむことができる。
初めから決められた場所に、規定の植栽が埋められていたら、
自由度はないし、変化もない。
僕の住む駅にも、駅前には大きな余白がある。
何もない芝生だ。
そこは休日は家族がピクニックをしたり、
楽器を弾く人がいたり、遊びまわる子供がいる。
ある意味iphoneも余白の塊だ。
画面にどんなアプリを入れるかは自分次第。
チェキの写真の周りは白い枠の余白がある。
ここにメッセージを書き込むことができるからこそ、瞬間が思い出に変わる。
余白があることで、僕たちは余白を埋めるための想像ができるし、
余白に何かを継ぎ足す創造もできる。
余白を作ることは企画サイドからしたら捨てることだが、
消費者からしたら創造性を与えること。
だから、余白を大切にしてほしい。