スティーブ・ジョブズを超える最強のイノベーターは?
みんな、フレデリックテューダーという人をご存知かな?
おそらくこのブログを読むマイノリティの方達は確実に知らないだろう。
いや、おそらく日本人の99.999%の人は聞いたこともないだろう。
だからね、僕はね、声を大にして言いたい。
彼こそが最強のイノベーターである、と。
フレデリックテューダーを前にしたら、スティーブ・ジョブズはリンゴ農園の親父に、ジェフベゾスはただの本屋の販売員に思えてくるだろう。
この方のスケール感、不屈の精神、資金調達力、図太さ、交渉力、全てが異次元。
荒唐無稽なアイディアを信じ実行した結果、財産と自由を失い、
しかし、最後に大富豪となった彼の人生をみんな知って欲しい。
1、フレデリックテューダーは思い立ってしまった、熱帯地方に氷を運びたい。
フレデリックテューダーは1783年生まれのアメリカの実業家である。
別名KING OF ICE。彼が起こした事業はなんと「氷貿易」である。
そう、この時代氷とは貴重なもので、もちろん製氷機や冷蔵庫など存在せず、天然の氷を船で氷のない地方に運んでいたのだ。現代の感覚からしたらそんなあほな、氷なんてすぐ溶けるじゃないか、ということだが、まさかのそんな非常識な事業を作り上げ、氷貿易という一大産業を作り上げだ人物がこのテューダーである。
(こちらがFrederic tuder先生です、偉人感しかありません:wikipedia参照)
ボストン生まれの田舎町のボンボンであったテューダーは
幼い頃から氷に親しんで生きてきた。
当時のこの地域の人の生活は、冬の池の氷を夏まで保管しておくことで、飲み物を冷やしたり、アイスクリームを食べたり、氷の恩恵を受けた生活を送っていた。
まあ氷はタダではあるが、貴重なものであった。
(そういや日本でもこの時代、殿様に氷を運ぶ職業があったらしい。夏に届けてかき氷を食べさすのだが、これがすごい贅沢だったのだとか)
そして彼が17歳の頃、カリブ海に家族で旅行に出かけたことが運命の転機となる。
この時代、もちろん熱帯地方には氷なんてものは存在しない。
テューダーはボストンとは大違いの蒸し暑い気候で過ごし、彼らの生活を眺める中で、
うっすらと氷貿易の可能性を感じたのだ。
「そうだ、彼らに僕の街の氷を届けてあげよう、氷があれば夏は涼しいし、食事は保存ができるし、アイスクリームを食べさせてあげたら喜ぶぞ〜!」
月日は流れ、テューダー22歳、兄たちとついに氷貿易会社を設立した。
事業は「熱帯地域に天然の氷を船で運んで売る」というなんともシンプルで最高な事業である。まさにシンプル馬鹿。
実は一緒に起業した兄たちもテューダーのこのビジネスに懐疑的であったし、
メディアでも「Mad project」と叩かれる。
親父にも破滅的だ、と言われる。
しかしテューダーはその可能性を信じだのだ。
自分はこんなに氷の恩恵を受けているのだから、
暑い地域の人の方が氷の恩恵をもっと受けるだろうというシンプルな理由だった。
熱帯地域の人は氷なんて見たことも聞いたこともないからこそ、そこに新たな市場がある。
このテューダーのシンプルだが未来を見据えた慧眼。
日々競合他社にケツを追いかける我々家電メーカーは今こそテューダーの崇高な思想、そしてコトラー先生の格言を思い出すべきだ。
そう、事業とは顧客の創造なのである。新しいマーケットを作り上げろ!
●テューダーからの学び
事業家とは顧客の創造が仕事である。
2、氷を運ぶも需要がなく大失敗
テューダーの会社の初陣は、氷を運ぶことにおいては成功したのだ。
なんと氷80トンをボストンから数週間かけて西インド諸島まで運んだのだ。
テューダーは感覚的に氷は数カ月は持つことを知っていたのだ。
しかし、問題は別にあった。なんと全く需要がなかったのである。
赤道直下で生まれてこのかた冷たいものなんて触ったことがない人たちは
氷を全く理解できなかった。
考えて見たら氷とは手段である。目的はものを冷やしたり、食品の保存を長くしたりという価値を理解して意味がある。
しかし、「冷やす?What's 冷やす?それ美味いの?」の概念の人たちにとって、
冷やす恩恵を理解させることほど難しいことはない。
そんなことをやっている間にテューダー達の氷はどんどん溶けてしまった。
結局テューダー達は少しのアイスクリームを現地民に食べさせて、
40億の赤字を出して初陣は盛大に失敗に終わった。
この時代の事業リスクは今とは段違いである。そもそも航海をするだけで死ぬかもしれない。
今の時代にようにアジャイル開発だ、なんとか言って試作機を作って、
お客さんの意見を聞ける時代はいい。
しかしローリスクゆえに他社との競争が激しいし、何よりピボット前提で
初期の方向性に固執できないというデメリットもある。
しかし、逆にこの時代に試作の氷なんて作って、お客さんの意見を聞いていたらどうだろう。間違いなく「うん、需要ない」で終わっていたはずだ。
日々ピボット前提で弱気だし顧客の声に翻弄させる我々だが、
新事業にはお客にその価値を認めさせる執念も必要なのだ。
●テューダーからの学び
自分が信じる価値を顧客に理解させることが事業である。
3、苦難の連続、めげずに技術開発
それからテューダーは諦めずに氷を西インド諸島に届け続けるが、全く価値を認めてくれない。
この時代、おそらく一回の航海で莫大な費用が必要であり、めちゃめちゃハイリスクな事業であることは間違いないが、
テューダーは氷貿易をやり続けだのだ。
そうするうちにテューダーの会社の資金は彼の届けた氷同様、溶け続け、そこをつき、さらに金を借りるも返せずに借金未払いで刑務所に入れられてしまう。(しかも二回も)
テューダー絶望の28歳である。
普通ならここで諦めて、農家でも大人しくやるか〜となる。
しかし、彼は圧倒的にしつこかった。完全に会社にいたら嫌われるやつである。
金がなくなったテューダーは、金がないなりに策を考える。
一つは空の貿易船に狙いを定め、彼らに氷を運んでもらったのだ。
当時はニューイングランドと西インド諸島で定期的な貿易船が動いていたが、輸出物がないニューイングランド初の空船に狙いを定め、テューダーは格安で氷を運んでもらった。
二つ目は、氷の持ちを長くするために、おがくずを氷と氷の間に挟んで保存し運んでもらうことで、通常よりも氷の持ちが良いことを発見したのだ。
おがくずも製材所の廃棄物であるため、激安である。
さらに輸出先の現地では、氷の保管庫の開発を行った。
二重構造の特別な保管庫を設計開発したことで、氷を現地に届けた後、ここに輸出した氷を保管でき、販売する仕組みを作ったのだ。
金がないなりに何かを考える。テューダー執念の事業継続であり不屈の精神。
日々資金繰りに怯える起業家たちよ、テューダーはこう語りかける、
「金はなくなってからが勝負じゃ!」
●テューダーからの学び
金がないならしょうがない、使えるものはなんでも使え
徐々にテューダーの氷貿易のパーツが埋まって行くのであった。
正直この間、どうやってテューダーが資金調達したのか全くわからないが、
事業の夢を語って人を魅了し、パートナー提携を行い、資金を集めたのだろう。
まさにアントレプレナーそのものである。
4、ついに利益を生む、道が開ける
1818年、テューダーは初めて氷事業で利益を産んだのだ。
事業をスタートして15年目、35歳のときである。
荒唐無稽に思えた事業が長い年月をかけてついに芽が出だのだ。
そこから怒涛の快進撃が始まる。
氷の採取方法を馬を使った新たな方法を開発し、従来の3倍以上に氷採取の効率化を行った。
世界中に貯氷庫を構築し、サプライチェーンを構築したテューダーの事業の参入障壁は恐ろしく高い。しかも天然の氷の原価はただである。
かかる費用は物流費や維持費、販促費のみである。
氷の冷却運送技術はブラックボックスになっているし、氷を採掘するノウハウ、さらには氷を活用した販売網やプロモーション、氷を使ったプライベートブランド商品など、まさに現代版アマゾンである。
各地で有力なバイヤーとも契約を行い、氷を売りさばきまくった。
この事業のコアコンピタンスは何かというと、サプライチェーンである。天然の氷を採取し、どうやって溶かさずに消費者まで届けるか、その運搬から現地保管、販売までのサプライチェーンにテューダーの会社が築いたノウハウがあるのだ。
しかし元を正せば、テューダーが10年以上、毎年氷貿易で失敗してきた問題を一つずつ解決してきたこと、これが事業の優位性に結びついたのであり、はじめから狙ってできたことではない。
新事業のプレゼンをした際に、知った顔で二言目には「この事業の競争優位性は何?」という部長共に言ってやりたいわ。「競争優位性なんて始めから狙ってできるもんじゃないわ!馬鹿者!」
●テューダーからの学び
競争優位性は現場の失敗から生まれる。
5、圧倒的成功、敵に対する過酷な仕打ち
テューダーの氷貿易は世界を変えた。
世界中に販路を構築したテューダー、その販売網はインドを始め、中国や日本にも及ぶ。
インドはテューダーにとって最大のマーケットになり、最も利益を生むことになる。
氷を通じた恩恵は生活を変えただけでなく、別の産業も生み出した。
例えば食品輸出。
これまで食肉は運搬中に腐っていたが、氷と共に運搬することで、長期の保存が可能になり、食品輸出という産業が生まれることになった。≈
またテューダーの逸話としてこんなことがある。
テューダーの事業が軌道に乗った時、
当時冷却装置を開発していたゴリーという研究者がいたのだが、
その装置が作る氷は細菌が入っている、というネガティブキャンペーンをしたのだ。
(これによりゴリーの装置は事業として芽が出ずに終わってしまう。
なんともかわいそう。)
自分の事業の敵は徹底的に叩き潰す。この強さ。これこそアントレプレナー。
数十年後にはゴリーの技術がベースとなった冷蔵庫やエアコンが普及したことで、
氷貿易産業は終焉を迎えることになるのは皮肉であるが。。。
6、最後に
実は若き日のテューダー、面白いことに彼はあるデマを信じていた、
それは「アイスクリームがイギリスからトリニダードトバコまで凍ったまま運ばれている」というまた聞きの話であった。
これは完全にデマなのだが、この話を信じ切っていたテューダーは「アイスがいけるなら自分も氷が運べる!」
と思い立ち起業したのだ。
荒唐無稽の少年の夢が一大産業を築いてしまったのだが、その一つに上記のデマは間違いなく起因していたはずだ。
しかし、テューダーが仮にお利口であり、知識があり、猜疑心の強い性格だったら、
上記の話を嘘と見抜いたかもしれない。
しかし、テューダーは無知であったから可能性を信じ、行動したことでその真実を証明したのだ。
僕たちは普段、お利口に囲まれて批判を浴びる立場であるが、
ある意味無知ほど強いものはなく、実際の行動でしか事業の可能性を
証明できない、そして何があっても諦めない「不屈の執念」
これを氷王のテューダーから学ぶべきである。
●テューダーからの学び
無知は強く、行動と執念こそが事業を創る