最近の学園モノ殺し合い漫画のトレンドから垣間見えるSNS疲れと落差への欲求
最近の「この漫画はすごい!」で取り上げられる漫画の1ジャンルとして、
必ずや出てくる構成の話がある。それは
学園殺し合い系である。
古くはバトルロワイヤルから始まったこのトレンド、最近では
・悪魔のメールが出回りそれを見た人は殺し合いに参加させられたり、
・気がついたら学校でいきなり殺し合いに参加させられたり、
・学校でいきなるだるまが出現してクラスメイトが死んで行ったり、
・変な霊に取り憑かれて急に幼馴染の彼女を殺したくなったり
・訳の分からない装置をつけられると奴隷になったり。
と、学園殺し合いというのは、
「日常の仲の良かったメンバー達が非日常的な境遇に置かれることで、非人道的な行為(殺し合い、呪いなど)をしなければならない」ストーリーのことである。
これらの見所は、
・ありえない現実だが、もしかしたら有り得るかも、と想像させてしまうリアリティ
・仲の良いクラスメイト達と殺し合いをしなければならないという壮絶な状況で、
普段の人物像とは全く違う人柄が垣間見えること
である。
昔はこの手のジャンルの漫画は少なかったが(例えばGANTSとか、リアル鬼ごっこ
が近い)最近は雨後の筍のごとくそんな漫画が爆発的に増えている。
で、勿論日本の漫画の供給サイド側としては、企画としてエッジが聞いてないと企画が通りづらい、というのはあるとは思うが、勿論需要もあるのだろうと感じる。
なので、その辺の需要側の深層心理は以下があるかと。
・SNS疲れ
学園殺し合い漫画の見所は、普段仲の良いメンバーが殺し合いの状況になると人間性が豹変し、残虐な人間に変わるというギャップである。
で、いつの時代も人間二つの顔を持っていて、人前にだす自分の綺麗な部分と、自分ゴリゴリの汚い部分である。
しかし、SNSの発達によって、自分の綺麗な部分を見せることに使う時間が増えている。例えばラインのグループチャットや、フェイスブックの投稿。
これまでは学校生活の間だけ綺麗な人間を出していた人たちが、常にSNSで繋がり続けることで、SNS場でも綺麗な自分を出し続けなければならない。そういうSNS疲れを背景に、人の汚い部分を見たい、というある意味反動的な衝動が人の中に生まれてきており、それを学園殺し合い系はいい塩梅で表現しているのだと思うのよ。
わざわざtwitterの裏垢で毒を吐きまくる人もそれなりにいるがそれなんかも反動だと思うのよね。
・落差に人は惹かれる
ショールームの前田さんも言っているが、人は落差、ギャップに惹かれる。
ベッキーの不倫騒動なんかはギャップマックスだし、tiktokの可愛い子の変顔なんかもそれ。世界の衝撃映像100なんかも、一瞬で平和な瞬間が悪夢と化す部分にギャップが怒っている。
そして、この学園モノ殺し合いのギャップは、「日常が一瞬で不幸な瞬間に切り替わること」である。
昨日までクラスで仲良く過ごしていたメンバーがなぜ次の日には命がけの殺し合いをしなければならないのか、と。
そして、この落差がよりリアルであればあるほど人は興奮してしまう。
だから普段は部活や恋愛、友情の舞台である高校生活なんかはもっとも
ギャップを産みやすい環境なのである。
・無料試し読み
最近の漫画は大体電子書籍で1話とか立ち読みができる。
このある意味漫画業界でもフリーミアムが広がっているわけだが、となると、いかに
1話目で読者にインパクトを残せるのか、という部分が大切になってくる。
だから奇想天外の殺し合いの状況や尖ったコンセプトを1話目から打ち出したほうが、人の食いつきは良くなるはずでその後の購入率も上がる可能性があるのだ。
つまりビジネスモデルの変化により漫画のコンセプトにも大きく影響を与えているわけだ。
ただ最近は初めに興味を引きつけようとするあまりにそのコンセプトをうまく漫画の中で消化できずに、全体的なストーリーが浅かったり、終わり方が無理やりだったりと、全体的に浅い漫画が増えていることも現実である。ここはもっと漫画家にみなさんが腰を据えて、全体のストーリーを練りこんでから作って欲しいものである。
まあこんなところかと。
じゃあこれからどうなるのかというと、しばらくはこのトレンドは続くし、殺し合いじゃなく、もっと面白いコンセプトのリアリティと非日常の間に焦点を当てたものが生まれてくると思う。
個人的には、大人と子供が入れ替わっちゃう系の話が好きなので、例えば、
天才的な頭脳を持つバリバリのサラリーマンが、幼稚園児と入れ替わって、幼稚園の組織や風土を変えて行く、とかそっち系の話を描いて欲しい。
と思ったりね。