「君の名は」がヒットした理由
正月に「君の名は」が地上波でやっていた。
自分は映画館で1回見ていたが、2回目であるこの放送もかなり楽しむことができた。
と言うか、なんか映画館で見たときよりも面白くない?と思ってしまった。
2回目にも関わらず僕の心をドキドキさせ、その伏線の多さや映像の美しさ、
声優の声の抑揚などなど、染み出してくる面白さがたくさんある。
これは巨匠宮崎駿のジブリシリーズを見ている時と同じ感覚であった。
毎回ジブリを金曜ロードショーで見るとついつい面白く最後まで見てしまう、
あの感覚だ。
そして、面白いことに、僕は「君の名は」を録画していたのが、
今日まで繰り返し、なんと5回も見てしまっていた。
わずか一週間で5回という圧倒的気持ち悪さはさることながら、
まあなぜこんなに見たかというと、勿論映画自体が面白い、というのもあるが、
なぜこれほどまでに面白いのか、ということを分析したかったからだ。
そしてこの面白さの源泉は、「時間軸における情報量の設定がうまい」
これに尽きると感じた。
もう少し詳しくいうと、
「短い時間軸の中で見る人の感情のアップダウンを起こすコンテンツ量(映像、ストーリー)の設定が絶妙にうまい」である。
一個具体例をあげると、映画の序盤で二人が現実世界で本当に入れ替わっていることが発覚し、お互いの生活の苦労が描かれるシーンがある。
この場面は有名な前々前世が流れるシーンであり、映画としては序盤なんで観客をここで一気に引き込む必要がある。
時間でいうとこのシーンはわずか5分くらいしかないが、この五分間の間に大きなアップダウンが二回ある。
この五分の間、前半部分は入れ替わってることでお互いの不便な描写を描いている、
例えばトイレに困ったり、みつはの組紐に苦労したり、東京で道に迷ったりなど。
しかし後半はお互いが入れ替わった生活を何気に楽しんでいる、という描写に変わっている。このわずか短い時間の間に観客は
「二人は苦労をしてるな〜心配!」というネガティブな感情とそのあと、
「お!なんだかんだ上手くいきそう?」というポジティブな感情を行き来することに
なる。つまらない映画はだらだらと同じようなテンポで進んでしまうが、
この映画は非常に短い時間で見る人の感情の起伏を作っているのだ。
ちなみにラストシーンの二人が階段で出会い、一瞬すれ違いそうになりながらも
瀧が声をかけるシーンにもアップダウンが行われている。
ここでハッと思ったのだが、これは感動するプレゼンの条件と合致している。
キング牧師やスティーブ・ジョブズのプレゼンがなぜあれほど感動するのか?
の理論をまとめた本に書いてあったのだが、彼らのプレゼンは
現実の不満⇆理想の世界
の説明を何度も行き来しており、それゆえ聴く人はプレゼンに引き込まれていく。
「君の名は」もこのプレゼンの理論に則っており、さらに映画の起承転結全てのシーンにおいてこの理論通り、感情の起伏を起こし続けている。
それだけコンテンツ量とその設計がうまいのだ。
さらにこの情報量を生み出すためには、映画のストーリーやテーマも重要である。
君の名は、はSF系ファンタジーとヒューマンドラマ(ラブロマンス)が合わさってる。
たいていの映画はどっちか一個に偏っているが、君の名はほぼ比率が50:50くらいだ。
なので
SF面での感情の起伏:隕石が落ちて村が滅びる!と、
ヒューマンドラマ:二人は出会えるのか?ドキドキ、
という二つの側面で感情の起伏を作ることができるので
普通のドラマの2倍ドキドキできるわけだ。
多分普通の映画監督はこの比率をどちらかに偏らせるのだと思う。
なぜかというとその方がストーリーを作りやすいからだ。
例えばクソ映画であったテラフォーマーズ、あれなんかはSF:ヒューマン=90:10である。あの映画はああいう映画だから良いが普通の映画はあんな感じでどっちかに
偏っており、逆に中途半端なヒューマン性があったりするから、興ざめしてしまう。
今までの常識にとらわれずチャレンジした新海監督の心意気とさらにそれを絶妙な流れにまとめ上げた手腕はあっぱれである。
そう結論を言うと
コンテンツ量が多いため、短い範囲で見る人と感情の起伏を作っているから、
そしてそれを織り成すストーリーの構成要素がSFとヒューマンドラマが50:50で織り合わさっているため、二倍ドキドキできること
だということなのだ。
ところで海外では
your nameって映画名が表記されてるらしいが、いいよね、このシンプルな感じ