日々の思考の積み重ね

家電メーカー企画マンの独り言ブログ

祖父の話 昭和の起業家

いつか書こうと思っていた祖父の話。

現在齢95歳だが、今も元気で過ごしている。

かなり耳は遠いが、戦争を生き抜いてきただけあり、足腰はしっかりで、

未だに僕と会うたびに仕事の話を楽しそうに聞いてくる。

 

祖父は戦争時代、多くの軍人が敵兵にやられる、もしくは病気や餓死で亡くなった

陸軍であったが、その中でも通信隊というポジションであったため、

比較的リスクが低い戦場で戦うことが多かったらしい。

なぜ祖父が通信隊に入れたかというと、軍に入隊した際、

「この中で電気系の知識があるものはいるか?」と言われた時に咄嗟に手を挙げたためらしい。

祖父にこの話を聞いていると、電気の知識なんてバイトでかじった程度しかなかったらしいが、直感的に通信隊の方が良い、と感じて志望したらしいのだ。

結局この時の判断で祖父はリスクを回避しながら戦えたらしく、改めて咄嗟の決断力と

行動力が大事である、と感じる次第である。

 

 

祖父は20代の前半数年を戦争という熾烈な体験を行い、命からがら戦争から帰ってきたあと、住友系の金属メーカーで少し働き、その後会社を興した。

僕はもう何百回と祖父の戦争話は聞いているが、祖父の起業話は数十回しか聞いたとがない 笑

おそらく戦争の方がインパクトが強すぎて、起業して会社を興した話は、まあそれなり、というこのなのかもしれない。

 

戦争話もかなり面白いのだが、なかなかこの起業話も面白い。

 

 

 

 

 

 

祖父はもともと香川の漁師の生まれであった。

香川の漁師は昔は栄えていたらしいが、製紙工場の影響で海が汚れ、

漁獲量が減ったために、職として続けて行くのは厳しくなってきた。

そこで香川ではもうやってられん、ということで戦前から岡山に移り住んだのだ。

しかし、戦争が始まってしまい、何年か死ぬような思いを経験し、

日本に帰国後、当時技術スキルがあったため、金属メーカーで働き始めた。

しかし、しばらくして祖父のお兄さんから会社を起こさないかという依頼が持ち込まれた。

 

何の会社か?

それは「ジーパン」であった。

当時ジーパンなんてものは??であった

ジーパンはアメリカではポピュラーな履物で、これから日本にも確実に普及する。とのこと。

そんな未来が祖父にも見えたのだろうか、祖父は会社を辞めて、兄弟3人でジーパン会社を興した。

 

 

 

しかし戦後はとにかく物資がなく、正規のルートではジーパンを作るための布を得ることができなかった。

そこで闇市にいき布を入手するのだが、岡山の闇市ではその布は入手することができず、少し離れた闇市まで機関車で買いに行っていたらしい。

しかし、普通に布を入手して機関車に乗ったら、岡山に到着後検問で引っかかるから、

機関車の乗車途中で川辺に購入した布を投げ捨てるのだ。

 

それを弟の祖父が拾って、すぐ家に持って帰り、奥さんが一晩中ジーパンを縫い続けた。

当時は材料を得るためだけでも必死だったのだ。

そして、その作ったジーパンを街に持って行くと飛ぶように売れたらしい。

何より着るものがそもそもなかった時代らしいから、それは圧倒的な需要であったとか。

作れば作るだけ、売れる、これは何ともたまらない。

 

しかし、事業が乗り始めると今度は警察に目をつけられた。

ジーパンを売っている祖父が捕まり、

「どこで布を入手したか吐け!」

と取り調べにあった。祖父はもし口を割ったら、ジーパンを作ることができないと、

絶対に口を割らなかったらしいが、そのおかげで警官にボコボコにされ血だらけになったらしい。

まあ昭和の時代だからがなかなか壮絶である。

そんなこんなことがたくさんあったが、なんとか事業を続けることができ、次第に店舗を開設したり、工場を作ったり、さらに事業は成長していく。

そして時代は高度経済成長に入り、欧米化がますます進み、祖父のジーパン会社は時代を謳歌する。

祖父が社長を引退後、後継者が事業を失敗し会社は傾くも、何とか今も生き残っている老舗ブランドである。

 

 

 

 

祖父は未だにいろんなことに興味しんしんで、

病院に行って見ず知らずの女性が横に座った時に、

そのジーパンの柄があまりにもおしゃれで、どこでそれを買ったのか?と食いついたり、タッパーをみじん切りにして処分できる商品を開発してほしいと僕に頼んできたり、年齢を重ねても常に好奇心を忘れていない。

この前は「まず工場に行ってすぐ物を作ってしまえば良い、そのように自分で動いていけ」と言っていた。

 

 

数年前、祖父に「おじいちゃんは仕事をどれくらい頑張ったの?」と聞いて見たことがあるが、

一呼吸置いた後「まあ、頑張ったな〜」

と大変苦しい表情を浮かべながらも、何とも言えない満足感が垣間見える笑みを浮かべながら答えた姿を見て、自分も最後にこう言える人生を歩みたい、と素直に思った。