humanityへの回帰
今日のように、未だかつて
人工知能、自動化、機械化、仮想現実など
バズワードがこれでもかと飛び交う時代はなかっただろう。
しかし、この慌ただしい世の中で、最近脚光を浴びつつある言葉がある。
「humanity」
humanityは、人間らしさ
という意味で認識しており、我々現代人が今最も必要としているものかもしれない、と感じている。
というのも、今の世の中はスマホを中心に回っているといっても過言ではない。
スマホがあれば
買い物
コミュニケーション
エンタメ
英語のお勉強
道案内
仕事
はたまた起業
と正直何でもできてしまう。
しかし、スマホを通じた世界は、ある意味味気なく、
そこに生身の人間と触れ合う温もりは存在しない。
ただただ効率的になり、人間が何かを意思決定する機会も減り、アマゾンのおかげで外出が減り、人工知能がレコメンドするおそらく僕らが「好きそうな」ニュースを受け身で眺める。
この恩恵は半端ない。200年前の武士からしたらちょんまげを切り落として発狂するレベルである。
しかし、この素晴らしい生活に、なぜか僕たちは違和感を感じてしまう。
おそらく全ての人が。
僕も同じだった。
何か言葉にできない違和感。それは一体なんなのか、とずっと考えていたんだが、
その違和感の正体はもしや
「不確実性が減ってしまった」ことなんじゃないかと思うようになった。
なぜかというと、
僕は先日この現代社会からしたら非効率な行動をとり、
しかし結果的にその行動により、
humanityな経験を得ることができ、
それが実にこの違和感の解消につながっているのだと感じたからだ。
それは何気ない日常の1ページである。
先日の仕事帰り、僕は仕事を終えて帰ろうとしたら、
嫁からオリーブオイルを買ってきて、と頼まれたので帰り道、イオンに寄った。
目的の品を得た後、僕は偶然目に入ったパン屋で思いついた。
「そういや嫁が好きだったベーコンパンを買ってあげるか」
と思った。そしてベーコンパンを買って帰ってあげた。
家に帰ると、嫁は子育てで疲れていたようだが、
ベーコンパンを見せると「覚えててくれたんだ」と言い、とても喜んだ。
それだけ。
けど、もし、嫁が僕に買い物をお願いせず、アマゾンを使っていたらどうだっただろうか?
僕は買い物に行かずに、嫁はすぐにオリーブオイルを得ることができただろう。
僕は仕事場から家に直帰でき、早く家族に会えたであろうし、
嫁がオリーブオイルをふんだんに使った料理に早くありつけていたかもしれない。
間違いなくいつもの生活にありつける確率は高まった。
僕はわざわざイオンに寄ることで交通事故に会うリスクが高くなり、自転車の空気が減り、レジのおばさんの対応の遅さにイラつくことになった。
その代わり、
イオンで嫁が好きなベーコンパンに出会うことができた。
レジのおばさんの働いている姿は悪いものではないと感じた。
タイヤの空気が減るから自分で空気を入れることになった。
など、たくさん無駄が生まれたが、不確実なものに会う確率は高まり、
その不確実な事態からひらめきが生まれ、
結果、家族との絆を深めることができた。
便利な生活からは対極に位置する不確実性こそ、僕たちが実は求めていることで、
この不確実が減ってしまった現代こそ、
僕たちがなんとなく感じている違和感の正体だと直感的に感じた。
なぜ僕たちには不確実性が必要なのか、
それは人間の生存確率に起因すると感じる。
人間はこれまで、常に生存確率をあげるため、リスクを取ってきた。
餌を得るため、新たな土地を開拓した。
効率的に食物を得るため、農業を編み出した。
船を作り、世界の謎を解き明かそうと必死になってきた。
人間達が種を守り、繁栄していくには進歩が必要であるが、
その進歩は新たなチャレンジという不確実だがハイリターンのものを
得る必要があった。
その不確実性を求める僕らの姿勢は、人間の本能に埋め込まれており、
僕らは不確実性がない生活には満足しないようになっているのだと思う。
効率性や生産性とは真逆のこの不確実性こそ、これから求められるもので、
こちらにビッグマーケットが間違いなく埋もれている。
日常の、生活にいかに不確実性を作れるか?
が僕らマーケターの仕事になってくる。