日々の思考の積み重ね

家電メーカー企画マンの独り言ブログ

スティーブ・ジョブズを超える最強のイノベーターは?

みんな、フレデリックテューダーという人をご存知かな?

 

おそらくこのブログを読むマイノリティの方達は確実に知らないだろう。

いや、おそらく日本人の99.999%の人は聞いたこともないだろう。

 

だからね、僕はね、声を大にして言いたい。

彼こそが最強のイノベーターである、と。

フレデリックテューダーを前にしたら、スティーブ・ジョブズはリンゴ農園の親父に、ジェフベゾスはただの本屋の販売員に思えてくるだろう。 

 

 

この方のスケール感、不屈の精神、資金調達力、図太さ、交渉力、全てが異次元。

 

 

荒唐無稽なアイディアを信じ実行した結果、財産と自由を失い、

しかし、最後に大富豪となった彼の人生をみんな知って欲しい。

 

 

1、フレデリックテューダーは思い立ってしまった、熱帯地方に氷を運びたい。

フレデリックテューダーは1783年生まれのアメリカの実業家である。

 

別名KING OF ICE。彼が起こした事業はなんと「氷貿易」である。

そう、この時代氷とは貴重なもので、もちろん製氷機や冷蔵庫など存在せず、天然の氷を船で氷のない地方に運んでいたのだ。現代の感覚からしたらそんなあほな、氷なんてすぐ溶けるじゃないか、ということだが、まさかのそんな非常識な事業を作り上げ、氷貿易という一大産業を作り上げだ人物がこのテューダーである。

 

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(こちらがFrederic tuder先生です、偉人感しかありません:wikipedia参照)

 

ボストン生まれの田舎町のボンボンであったテューダーは

幼い頃から氷に親しんで生きてきた。

当時のこの地域の人の生活は、冬の池の氷を夏まで保管しておくことで、飲み物を冷やしたり、アイスクリームを食べたり、氷の恩恵を受けた生活を送っていた。

まあ氷はタダではあるが、貴重なものであった。

(そういや日本でもこの時代、殿様に氷を運ぶ職業があったらしい。夏に届けてかき氷を食べさすのだが、これがすごい贅沢だったのだとか)

 

 

そして彼が17歳の頃、カリブ海に家族で旅行に出かけたことが運命の転機となる。

この時代、もちろん熱帯地方には氷なんてものは存在しない。

テューダーはボストンとは大違いの蒸し暑い気候で過ごし、彼らの生活を眺める中で、

うっすらと氷貿易の可能性を感じたのだ。

「そうだ、彼らに僕の街の氷を届けてあげよう、氷があれば夏は涼しいし、食事は保存ができるし、アイスクリームを食べさせてあげたら喜ぶぞ〜!」

 

月日は流れ、テューダー22歳、兄たちとついに氷貿易会社を設立した。

事業は「熱帯地域に天然の氷を船で運んで売る」というなんともシンプルで最高な事業である。まさにシンプル馬鹿。

実は一緒に起業した兄たちもテューダーのこのビジネスに懐疑的であったし、

メディアでも「Mad project」と叩かれる。

親父にも破滅的だ、と言われる。

 

しかしテューダーはその可能性を信じだのだ。

自分はこんなに氷の恩恵を受けているのだから、

暑い地域の人の方が氷の恩恵をもっと受けるだろうというシンプルな理由だった。

熱帯地域の人は氷なんて見たことも聞いたこともないからこそ、そこに新たな市場がある。

このテューダーのシンプルだが未来を見据えた慧眼。

日々競合他社にケツを追いかける我々家電メーカーは今こそテューダーの崇高な思想、そしてコトラー先生の格言を思い出すべきだ。

そう、事業とは顧客の創造なのである。新しいマーケットを作り上げろ!

 

●テューダーからの学び

事業家とは顧客の創造が仕事である。

 2、氷を運ぶも需要がなく大失敗

テューダーの会社の初陣は、氷を運ぶことにおいては成功したのだ。

なんと氷80トンをボストンから数週間かけて西インド諸島まで運んだのだ。

テューダーは感覚的に氷は数カ月は持つことを知っていたのだ。

 

 

しかし、問題は別にあった。なんと全く需要がなかったのである。

赤道直下で生まれてこのかた冷たいものなんて触ったことがない人たちは

氷を全く理解できなかった。

考えて見たら氷とは手段である。目的はものを冷やしたり、食品の保存を長くしたりという価値を理解して意味がある。

しかし、「冷やす?What's 冷やす?それ美味いの?」の概念の人たちにとって、

冷やす恩恵を理解させることほど難しいことはない。

 

そんなことをやっている間にテューダー達の氷はどんどん溶けてしまった。

結局テューダー達は少しのアイスクリームを現地民に食べさせて、

40億の赤字を出して初陣は盛大に失敗に終わった。

 

この時代の事業リスクは今とは段違いである。そもそも航海をするだけで死ぬかもしれない。

今の時代にようにアジャイル開発だ、なんとか言って試作機を作って、

お客さんの意見を聞ける時代はいい。

しかしローリスクゆえに他社との競争が激しいし、何よりピボット前提で

初期の方向性に固執できないというデメリットもある。

しかし、逆にこの時代に試作の氷なんて作って、お客さんの意見を聞いていたらどうだろう。間違いなく「うん、需要ない」で終わっていたはずだ。

日々ピボット前提で弱気だし顧客の声に翻弄させる我々だが、

新事業にはお客にその価値を認めさせる執念も必要なのだ。

 ●テューダーからの学び

自分が信じる価値を顧客に理解させることが事業である。

 3、苦難の連続、めげずに技術開発

 それからテューダーは諦めずに氷を西インド諸島に届け続けるが、全く価値を認めてくれない。

この時代、おそらく一回の航海で莫大な費用が必要であり、めちゃめちゃハイリスクな事業であることは間違いないが、

テューダーは氷貿易をやり続けだのだ。

そうするうちにテューダーの会社の資金は彼の届けた氷同様、溶け続け、そこをつき、さらに金を借りるも返せずに借金未払いで刑務所に入れられてしまう。(しかも二回も)

テューダー絶望の28歳である。

 

普通ならここで諦めて、農家でも大人しくやるか〜となる。

しかし、彼は圧倒的にしつこかった。完全に会社にいたら嫌われるやつである。

金がなくなったテューダーは、金がないなりに策を考える。

一つは空の貿易船に狙いを定め、彼らに氷を運んでもらったのだ。

当時はニューイングランド西インド諸島で定期的な貿易船が動いていたが、輸出物がないニューイングランド初の空船に狙いを定め、テューダーは格安で氷を運んでもらった。

 

二つ目は、氷の持ちを長くするために、おがくずを氷と氷の間に挟んで保存し運んでもらうことで、通常よりも氷の持ちが良いことを発見したのだ。

おがくずも製材所の廃棄物であるため、激安である

 

さらに輸出先の現地では、氷の保管庫の開発を行った。

二重構造の特別な保管庫を設計開発したことで、氷を現地に届けた後、ここに輸出した氷を保管でき、販売する仕組みを作ったのだ。

金がないなりに何かを考える。テューダー執念の事業継続であり不屈の精神。

日々資金繰りに怯える起業家たちよ、テューダーはこう語りかける、

「金はなくなってからが勝負じゃ!」

 

●テューダーからの学び

金がないならしょうがない、使えるものはなんでも使え

 

 

 

徐々にテューダーの氷貿易のパーツが埋まって行くのであった。

正直この間、どうやってテューダーが資金調達したのか全くわからないが、

事業の夢を語って人を魅了し、パートナー提携を行い、資金を集めたのだろう。

まさにアントレプレナーそのものである。

 4、ついに利益を生む、道が開ける

1818年、テューダーは初めて氷事業で利益を産んだのだ。

事業をスタートして15年目、35歳のときである。

荒唐無稽に思えた事業が長い年月をかけてついに芽が出だのだ。

 

そこから怒涛の快進撃が始まる。

氷の採取方法を馬を使った新たな方法を開発し、従来の3倍以上に氷採取の効率化を行った。

世界中に貯氷庫を構築し、サプライチェーンを構築したテューダーの事業の参入障壁は恐ろしく高い。しかも天然の氷の原価はただである。

かかる費用は物流費や維持費、販促費のみである。

 

氷の冷却運送技術はブラックボックスになっているし、氷を採掘するノウハウ、さらには氷を活用した販売網やプロモーション、氷を使ったプライベートブランド商品など、まさに現代版アマゾンである。

各地で有力なバイヤーとも契約を行い、氷を売りさばきまくった。

 

この事業のコアコンピタンスは何かというと、サプライチェーンである。天然の氷を採取し、どうやって溶かさずに消費者まで届けるか、その運搬から現地保管、販売までのサプライチェーンにテューダーの会社が築いたノウハウがあるのだ。

 

しかし元を正せば、テューダーが10年以上、毎年氷貿易で失敗してきた問題を一つずつ解決してきたこと、これが事業の優位性に結びついたのであり、はじめから狙ってできたことではない。

新事業のプレゼンをした際に、知った顔で二言目には「この事業の競争優位性は何?」という部長共に言ってやりたいわ。「競争優位性なんて始めから狙ってできるもんじゃないわ!馬鹿者!」 

●テューダーからの学び

競争優位性は現場の失敗から生まれる。

 5、圧倒的成功、敵に対する過酷な仕打ち

 テューダーの氷貿易は世界を変えた。

世界中に販路を構築したテューダー、その販売網はインドを始め、中国や日本にも及ぶ。

インドはテューダーにとって最大のマーケットになり、最も利益を生むことになる。

 

 

氷を通じた恩恵は生活を変えただけでなく、別の産業も生み出した。

例えば食品輸出。

これまで食肉は運搬中に腐っていたが、氷と共に運搬することで、長期の保存が可能になり、食品輸出という産業が生まれることになった。≈

 

またテューダーの逸話としてこんなことがある。

テューダーの事業が軌道に乗った時、

当時冷却装置を開発していたゴリーという研究者がいたのだが、

その装置が作る氷は細菌が入っている、というネガティブキャンペーンをしたのだ。

(これによりゴリーの装置は事業として芽が出ずに終わってしまう。

なんともかわいそう。)

自分の事業の敵は徹底的に叩き潰す。この強さ。これこそアントレプレナー

数十年後にはゴリーの技術がベースとなった冷蔵庫やエアコンが普及したことで、

氷貿易産業は終焉を迎えることになるのは皮肉であるが。。。

 6、最後に

実は若き日のテューダー、面白いことに彼はあるデマを信じていた、

それは「アイスクリームがイギリスからトリニダードトバコまで凍ったまま運ばれている」というまた聞きの話であった。

これは完全にデマなのだが、この話を信じ切っていたテューダーは「アイスがいけるなら自分も氷が運べる!」

と思い立ち起業したのだ。

荒唐無稽の少年の夢が一大産業を築いてしまったのだが、その一つに上記のデマは間違いなく起因していたはずだ。

しかし、テューダーが仮にお利口であり、知識があり、猜疑心の強い性格だったら、

上記の話を嘘と見抜いたかもしれない。

しかし、テューダーは無知であったから可能性を信じ、行動したことでその真実を証明したのだ。

 

僕たちは普段、お利口に囲まれて批判を浴びる立場であるが、

ある意味無知ほど強いものはなく、実際の行動でしか事業の可能性を

証明できない、そして何があっても諦めない「不屈の執念」

これを氷王のテューダーから学ぶべきである。

 

●テューダーからの学び
無知は強く、行動と執念こそが事業を創る

 

 

 

世界をつくった6つの革命の物語 新・人類進化史

世界をつくった6つの革命の物語 新・人類進化史

 

【思考術】コト発想はもう古い。これからはビジョン発想の時代となる

ビジョン発想とは何か?

 

結論から言うと、

ヒトはどうあるべきでどんなことに幸せを感じて欲しいか、など自分の理想世界を追求する極めて個人の主観的な新商品発想方法であり、

従来のモノ発想やコト発想とは一線を画する。

そして、今の世の中ビジョン発想のサービスは需要に対して供給が圧倒的に追いついていない。 

今日はそんなビジョン発想について論じたい

 

1、マキシマイザーという現代の病

マキシマイザーとサティスファイザーと言う言葉を聞いたことあるだろうか。

マキシマイザーとは、物事を決断する際、様々な選択肢を考慮し最善の選択を選ぼうとするスタイルの人であり、

かたやサティスファイザーとは、選んだり考えたりすることにあまり時間を使わず、

直感的に決断する人のことだ。

この二つのタイプでは、実際にマキシマイザーの方がサティスファイザーよりも優れた決断をするケースが多いが、マキシマイザーの方が選んだものに対する満足度が総じて低いというデータがある。

 

「頭パンク イメージ」の画像検索結果

 

 

 

 

そしてあらゆる情報にアクセスしやすくなった現代は、

あらゆる人がマキシマイザー的になりやすい環境である。

 

皆さんも思うところがあるはずだ。

ペアーズで色んな男性に会えば会うほど虚しくなるように。

現にフェイスブックやインスタの利用時間が長い人ほど幸福度が下がる

データがあるが、それも人と自分を比較して幸福度が下がってしまうわけだ。

 

 

そしてマキシマイザー化が進むことで、何が起きるかと言うと

・自分の人生に自信が持てなくなる

・日々の生活に満足感が得られにくい

と言う現象が起こる。

 

 

その結果、

「平凡な日常生活の中で生きがいを感じたい」病になる。

 

生きがいとは自分の人生の目的意義である。

そしてそんな目的意義を満たしてくれるのが「意味あるサービス」である

 

2、意味あるサービスは「Why」が肝

意味とは個人の解釈である。

ポジティブシンキングの人は物事を肯定的に解釈する。

逆境を光機ととらえる人もいる(アパホテルの社長だね)

 

意味あるサービスとは、

自分の生活に新しい解釈を与えてくれるものである。

だからそのサービスを選んで使うことで、

日々の生活に刺激が生まれたり意義が生まれたり、人生を主体的に生きてる気になれる。

メルカリで日本の古着廃棄ロスに貢献してる気になれたり、エアビーで外人と交流が生まれたり。

最近浅草のストリップ劇場に女性客が訪れるらしいが、これも批判的視線を浴びる女性が主体的に演じている姿に「主体的に生きてること」に感動したいだけである。

 

そして意味あるサービスが内包するものは

・そのサービスを使うことで生活に新たな意味づけができること

であり、そのためには

・そのサービスがもたらす変化

が大切なのだが、そんなサービスを生み出すマーケティング側の立場としては、

・何故そのサービスが必要なのか?

という哲学的思考とビジョンが必要になる。

人間は本来どうあるべきか、どんな体験を得るべきなのか、

何が正しいか、何が好きであって欲しいか。

そして最も大切なことはこのWhyに繋がる視点は、

ユーザー観察からはうまれず自分の内発性や自己欲求から生まれると言うことである。

 

3、中から外へのイノベーション

従来のもの発想やこと発想はユーザー起点であり、人の観察からインサイトを引き出しサービスを考えていた。アプローチとしても大量のアイディアを出し、その中から一番良さげなアイディアを選ぶ方法である。今まではこれで正しかった。

しかしこの問題解決型のアプローチではたくさんのアイディアは生まれるが、それを価値あるものにできる解釈を与えられない。

なぜならその起点は内発的なものだからだ。買収した企業の価値観を自社色に染められないのと同じことである。

 

 

しかし、意味あるサービスはユーザー観察からは生まれない。

ユーザーを見てるだけではあるべき論は生まれないからだ。

自分の中で深く考え、煮込み、その深い考え方を持つ、そしてそれを数人の仲間とぶつけ、批判しあい、また考え込む、と言う、過去哲学者たちが街頭や店で仲間とぶつけあったようなアプローチでしか生まれない。

じっくり自分の中で煮込んだあるべき論やアイディアを形にして人にぶつける。

これが中から外へのイノベーションである。

量の時代から質の時代へ、協調の時代から批判的対話の時代へ、多数の議論から少数のビジョナリーの議論へと変化する。

 

 

4、ビジョン発想

この意味のあるサービスを生み出す思考法こそ、ビジョン発想である。

人々がどうあるべきか、どう生きるべきか、どんなものを愛して欲しいか、

これは既存サービスという範囲の中で試行錯誤してたもの発想やヒト発想とは異なる、一つ上位レイヤーの考えであり、

社会情勢や現代人の心の機敏な変化、日常の違和感や自分の信念など、

深く人に対する理念や洞察が必要になってくる。

日常の何気ない景色のワンシーンを無駄に思うか、きっかけに変えられるか。

 

たとえば、屋外街頭広告を景観を汚すといって辞めてしまえというのか、

上を見上げる機会が増えるので空の美しさに気づく人が増えるというのか、

これが解釈の違いであり、意味付けである。

屋外広告の企画者ならどうやったらみんなが屋外広告を愛してくれるか、

という自分の内なる想いを伝えられるかが肝となる。

 

たとえばカメラの商品企画者なら、

カメラの画素数やレンズ性能で勝負するのがモノ発想、

カメラの写真共有により楽しい会話のきっかけを作るのはコト発想

カメラ撮影の目的を再定義するのがビジョン発想である。

例えば、カメラで撮った写真を一つの物語にできるサービス。

何時間も絶妙なシャッターチャンスを仲間たちと探し続ける旅自体のサービス。

創造性あふれるクリエイター達とのアートコラボレーション。

 

これからの商品企画者にはビジョン発想の視点が求められる。

 

 

ザキオ的イケてるサービス 自動で少額貯金

ふと発見したサービス。

 

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自分の口座から利用状況を解析し、自動で無理ない範囲で

貯金をしてくれるサービス。

これ、絶対日本では生まれないサービスだろうな〜と考えていた。

貯金ってめんどくさい、何がめんどくさいって、

毎回貯金をするための手間暇や時間、額を考えることがめんどくさい。

でもそんな貯金のめんどくささを解消し、勝手に貯金をしてくれる。

 

間接的アプローチはマーケティングの原理原則になり得るのか?

 事業を創造するにあたり、

抽象思考と具体思考を何回も往復しなければならないが、これは

仕事筋を強める非常に効果的なトレーニングである。

 

たとえば、新事業サービスの顧客価値を考えるにあたり、

それが自分の理想の社会の実現に対して、正しい一手か?

ということを何度も自問自答する。

商品価値はその上位の戦略目的の達成があるわけだが、

では戦略目的の達成の上位には、自分が実現したい社会があるわけだ。

ソフトバンクなら情報革命を通じて世界を幸せにする。

メルペイなら、滑らかな社会を作る、

のように。そして自分が出す商品価値がどのように自分の実現したい社会に結びついているか、それがいつのタイミングなのか、どのターゲットなのか、など具体論を考える必要がある。

 

つまりこの思考の上下運動だけで、

・自分が実現したい社会を考える想像力

・戦術と戦略を考えるマーケティング思考

・お客様が具体的に体感するUX

 

を何回も考えるわけで、結構な上下運動思考力が身についたりする。

 

そして、この上下運動思考力はすごい大事なのだが、

それは自分の行動を原理原則に基づいて行動できるようになるからである。

 

これはあらゆる物事において必要な思考だ。

例えば幼い子供が悪さをしたら、それがなぜ悪いかを教えなければならないが、それは原理原則を子供に植え付けているわけである。

例えば自分の子供が友達を殴ってしまった。この時の叱り方で

・叩いたから叱ったのか、

・人をキズづけたから叱ったのか、

・手を出したことに我慢できなかったから叱るのか

 

で叱り方は異なるし、この然り方次第で、

子供に世の中の原則を覚えさせ、汎用性の高い行動を身につかせることができる。

 

新入社員が何度も同じミスをしてしまうのも、原理として自分がミスをする法則を理解していないからである。

 

 

たとえば、どんな会社にも経営理念は存在するが、それも同じである。

経営理念という原理原則、抽象表現があり、

それに基づいた各組織の具体的行動がある。

 

 

 

そして、本日の議論はマーケテイング戦略の原則に「間接的アプローチ」はなり得るか?である。

 

まず、間接的アプローチとは何か。

これは戦争の戦術のことで、

直接的アプローチと間接的アプローチというものが存在するのだが、

直接的アプローチは、正面切って敵を攻撃することであり、

間接的アプローチは、敵が思ってもいない方法で敵を攻撃すること

である。

 

この間接的アプローチは、孫子の兵法の言葉によく現れており、

例えば以下なんかが間接的アプローチをよく表している。

・最高の戦争とは戦わずして敵の抵抗を排除すること

・敵が急いで防御をしなければならない地点に出現し、敵の予想しない場所へ迅速に

 軍を進めよ

・迅速が戦争で最も重要なことである。敵が準備していないところを利用せよ。

 

 

 

 

そして、衝撃的なことに、

「歴史上の決定的戦いのほとんどは間接的アプローチによって決着がついた」

というのだ。(by リデルハート

ナポレオンなんかは間接的アプローチが得意で、常に相手が自分たちに有利となる場所におびき寄せたり、誘導して戦ってきた。

 

 

間接的アプローチはある意味リスクも高いが、

非常に強い効力を発揮する。

そして我々マーケターはその本質の原則を考え、日常的に生かすことを求められる。

 

 

では、この間接的アプローチの本質は何かというと

「相手が抵抗する心を折ってしまうこと」である。

もしくは抵抗できなくすること。

 

相手がそもそも戦いたくない、戦う必要がない、と思わせることができるか。

 

例えばあなたの上司に自分の企画を通すときに、上司の反対意見と正面からぶつかって説得することは直接的アプローチである。これはある意味非生産的であるし、結果次第で遺恨を残す可能性がある。

 

それよりも、自分の企画内容が普段の上司の考えと同じ方向性であるよ♡

それをほのめかす方法、これは間接的アプローチである。

相手と違った自分の考え方を相手が疑惑を感じないような形で浸透させることなのだ。

これも上司が抵抗する気持ちをそもそもなくしてしまうことを目的としている。

 

また、とある市場に対して打ち込む新商品があるが、それを他の企業は絶対真似できないようにすることも間接的アプローチである。

その商品を競合企業が真似をしてしまうと、自分たちの強みが足かせになってしまうとか、自分たちの事業に打撃を与えてしまうとか、そもそもやる気が出ないよういすることが相手の心を折っている。

 

また、例えば自分が営業であり、自社商品を売るときに、

直接その商品の価値を伝えるのではなく、その商品を使うことで日常がどう変わるか、

と説明する方がよっぽど相手に価値が響く場合がある。

 

恋愛でも自分の好きという感情を直接伝えるのではなく、態度で示すこと。

 

マーケティングが包括する範囲は幅広いが、

この間接的アプローチというのは原理原則になり得ると考えている。

 

 

 

そしてこの間接的アプローチを実現することは、まずは相手を知ることである。

相手が何に関心があり、どういうものの考え方をするか、それを把握しておく必要がある。また自分たちを知っておく必要もある。自分たちの強みが何で、どうやったら強みを増幅できるのか。

 

そして次は編集力である。

相手の欲しがる情報に合わせて自分の作戦を変化させる。ここはアートの領域でもあるが、とにかく考えるしかない。必死で考えて考え続ける。これに尽きる。

 

そんなことを考えていたら、やはり歴史上の戦略家たちに比べて、自分のことをはじてしまうし、もっと必死で考えなければならないな〜。

 

言語化できないことに価値がある

新しい企画を行っていたり、最新のサービスを調べていると、

言語にできないモノに振れる機会が多くなる。

 

言語にできないというのは、その商品やサービスが持つ本質的な価値もそうだし、

コンセプトや狙っているターゲット、サービスの業界定義など、

明確に言えない領域が存在する。

そしてそれは自分の進める新事業についても同じことが言える。

自分の描きたい世界や実現したい社会は言語化できるのだが、

それを実現するための手段系、つまり自分の企画する商品の価値が明確に

定義できないのだ。

自分の企画してる商品くらい正しく価値を認識できなのか?

と言われそうだが、

 

いかんせん、できないものはできないのだ。

最後にはだいたい変な横文字を使って説明してしまう

 

 

勿論その商品の魅力を誰よりも信じているし、

誰よりも世の中に広げたいと思っているのだが、

クリティカルにその商品の価値を明確化することはできないし、

もはやする必要もないとさえ思ってしまう。

 

そしてなぜこんなことが起こってしまうのかというと、

おそらく、「その体験自体がこれまで存在していなかったため、その意味を説明する言語が存在していない」という結論付けになった。

 

そもそも言語とは意味であり、人に伝えるために言語は存在する。

しかし、人に伝えるためには、

その人達に体験が共有できる状態になる必要がある。

しかし、その体験が共有できる状態になるには、多少は世にそれが浸透する必要があるわけだが、世に存在しないものは体験が共有できない。

つまり、伝えられないもののため、言語化できないのだ。

以前、以下のような記事を書いたが、これは自分がその体験を言語として把握しておかないと、それ自体を体験できないという記事だが、同様のことである。

 

taitaitai.hatenadiary.jp

 

 

 

 

 

 

例えば、最近若者の間で流行しているTiktok

これはどんなものかというと、

短い動画共有サービス

 

であるが、では一体どんな価値を提供しているのか?という問いに対して、

一言で表すのは非常に難しい。

 

 

抽象度をあげると

承認欲求を刺激するサービス

 

であるし、

具体的に言うと、

 

決められた既定のダンスに合わせてかわいく自分の動画を共有できるのでインスタよりも気軽にそこまで恥ずかしくなくみんなにかわいさをアピールできて幸せ

 

なサービスである。

大体この具体と抽象の中間地点が最も筋の良い言葉となるのだが、

「歌や踊りなどの面白さに振ったコンテンツパッケージ」

「驚きや面白さを気軽に作れて共有できる動画イノベーション

「誰もがクリエイターになりたい深層的な欲求を満たすサービス」

 

まあなんとでも言えるわけである。

だからTiktokの価値をシンプルに言語化するのは難しいし、しなくてもよいと思う。

だからTikitokも思い出を作ろう、みたいな振り方をしているのだろう。

 

 

きゃりーぱみゅぱみゅの価値は?と問われたら、

人によって異なるし、PPAPもしかり。

キャッシュみたいなフィンテック×フリマみたいなサービスも説明が難しい。

AirbndBの価値も一つではない。

 

人の欲求が複雑化している社会では、

言語化できないものから新たなサービスが走り出し、それが次第に認知され、

言語化されていくわけである。

だから、新しいサービスを考えている人は、

例えその価値を自分でうまく表現できなくても

落ち込む必要はない。

 

 逆に、

・人によって感じる価値が変わってしまう

・提供者側が明確な説明ができず、言葉を探してしまう

くらいなサービスの方が新しいイノベーションが生まれやすい社会なのだ。

 

むしろ大切になっていくことは

そのサービスが受け入れられているユーザー達がいる、

という事実である。

特に最初のイノベーターやアーリーアダプター

なぜそのサービスを使ってしまうのか、今までどんな課題があったのか。

そのサービスは一言では言語化できないものであるが、

そのユーザー達が使っている理由はわかるはずだ。

 

その理由が

・今まで気づかなかった課題であるのか

・その課題は大きかったのか

・それはマズロー欲求の高次な欲求であるか

 

この三つがそろっていることの方が、大切であり、

強いインパクトを生むサービスになり得る。

 

 

ということを一週間の展示会を通じて、

100人以上の人としゃべり続けて、

最後に感じたことでした。

今、新幹線で帰っているが、頭があったかいうちにとりあえず書いておきましょう。

そして、今週は一回も週刊誌が立ち読みできてないので、帰りのコンビニが楽しみでもあるね。

 

 

 

孤独を感じやすくなったことで、小さな貢献マーケットが生まれる

 

以前、非常に気にかかったサービスを発見したのだが、

なんとなくそのサービスはぼくの頭に残り、しばらくしても

離れなかった。

正直、気持ち悪いと思ったからだ。

それは、「自分の人形に旅行をさせる」というサービスで、

依頼者の人形を借りて、その人形をリアルに旅行させる、

というサービスである。

人形を実際の観光地に連れて行き、

名所や旅の道中の写真を収めて販売するサービスであった。

 

人形の擬人化が進化すると、仰天、こんなサービスが生まれるのかと思ったが、

これと同類のサービスを本日発見してしまった。

以下だ

 

nuigurumi-hospital.jp

 

今年のグッドデザインに選ばれたサービスであり、

その世界観やユーザーのインサイトを捉えたサービスと高評価であった。

 

これは、一応人形の修理という目的があるので、

まだ理解できたが、この手の需要はニッチであるが、

確実に需要があるビジネスであると感じた。

 

 

このようなビジネスが生まれる背景は、

・孤独な現代人が増えている

・大切なもの(愛着があるもの、ここでは擬人化)には際限なくお金を払う人が増える

 

であると思うのだが、

まず、人は孤独になると自分以外のモノを擬人化したがる。

これは人間本能ベースに組み込まれているもので、

擬人化による共感や安心感により、孤独を解消している。

キャストアウェイの主人公がバレーボールを擬人化したのがいい例だが、

現代では、それがペットであり、人形であり、バーチャルのアバターであり、

何でもありだ。

(孤独な現代人が増えている、というのは正しくは、

孤独を感じやすくなった人が増えているだけだ。

これはSNS上での他人の比較がしやすくなってしまったため、

孤独感を感じやすくなっただけであるのだが。)

そして、孤独な人達が擬人化したもの(この場合は自分の子供に近い感覚である)に対しては、リアルな人間に近いサービスを行わせること、

ここにある意味

 

かわいさと

ギャップによる面白さが

 

重なることで、新しいエンターテイメントが生まれているのだ。

 

 

一見、こんなものにお金を払うのは理解できないが、

考えてみたら自分の大切なペットを病院に連れて行くのと近い行為であり、

擬人化の対象が広がっているだけである。

 

今後この人形ビジネスにおいては、

様々なサービス、例えば自分の人形を遊園地に連れて行ったり、

ドライブに行ったり、毎月どっかに連れて行ってあげるサブスクリプション

サービスが生まれてもおかしくないが、

これは本質的には

孤独な現代人の貢献欲求を刺激しているのだ

 

つまり、自分の人形たちに世話を焼くことで、自分の存在意義をかみしめているのだ

 

これは、母親が子供に世話を焼いたり、

女性がダメンズ紐男に世話を焼いたり、

退職前のおじさんが、若手社員に世話を焼いたり、

 

貢献欲求を刺激する延長線に位置しているのだ。

 

そして、今後は、タイトルにもある通り、

自分の貢献欲求を刺激する小さなサービスが花開くことである。

 

ここでポイントは小さな、ということである。

 

何もカンボジアの貧民地域にいって、井戸を掘ってくるボランティアほど

大げさなことではないwww

 

わかりやすい事例は、

ネスカフェアンバサダーである。

 

職場のネスカフェアンバサダーをしてくれるアラフォー独身女性は、

職場に珈琲をお届けするということで、

自分の貢献欲求を開発していたわけである。

 

人の講演を聞いて、そのプレゼンにイイネをしてあげるだけで、

それはある意味貢献であるし、

毎日掃除してくれるおじさんへの感謝の気持ちを表現することは

貢献である。

 

このようにちょっとした自分ができることを

社会に還元できる仕組みが今後強いプラットフォーマーになり得るし、

我々もそのようなサービスを開発していくことで、

もっと多くの人が生きがいを持って生きられる社会が

実現できるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

ゲーム業界と音楽業界は似てきた

自分は家電屋に行くのが趣味だが、その中でもゲーム売り場は結構長時間いてしまう。

 

で、今日ゲーム売り場を歩きながら以下を感じた。

 

まず大作RPGが減ってしまったな、と。

昔(10年くらい前?)は結構金かけて大作RPG作ってたが、そういうゲームはほとんどなく、どちらかというとみんなで楽しく遊ぶゲームが増えていると感じた。

インターネット接続が当たり前になったことで、不特定多数の人たちと対戦できるゲームが増え、結果的に一人で没頭するよりも協力や対戦をテーマにしたゲームの方が需要が高まったのかなと。

RPGではないが、ロックマン11が発売されていたが、驚愕したのは2018年のいまにおいてやっと11であるということ。確か自分が子供の頃、1996年くらいか、ロックマン8が発売された気がするが、それから22年経って3作しか進んでないということである。

それまでの毎年発売していたペースから、めちゃめちゃのペースダウンである。

 

二つ目は、大人が子供と一緒に目を輝かせてゲームを選んでおったこと。

ゲームのDMUは親であるケースが多いが、あわよくば自分も楽しめるゲームを選ぼうという親の思惑を感じた笑

 

三つ目は、リノベーションゲームが増えている。

ファミリーコンピュータもそうであるし、

昔のゲーム、シェンムー(知る人ぞ知る!)もリノベーションして発売されていた。

 

 

 

これらを見ながら、ゲーム業界も音楽業界と同じことが起こりつつあるなと感じた。

まず、過去のゲームをリノベーションするのは、過去の売れた曲を何度もアルバムとして販売するアーティストに近い。

うまく資産を活用することで従来のファンに効果的にリーチできるメリットはある反面、先細りしてしまう部分もある。

 

またスマホアプリで大量に安いゲームが生まれてきたことで、ゲーム業界もリアルタイムの同時通信、複数人で遊ぶゲーム体験を増やしていること。E-sportsなんかもライブ体験であるが、これはアーティストが自分たちの音楽が無料で聞けるようになってしまったことで、活動の主軸を創作からライブ活動へとシフトしていることに近い。

音楽業界はこれからも5感を刺激するライブ市場が活性化して行くが、

これはe-sports であったり、VRゲームのように5感を感じられるゲーム市場の動きと似て行くだろう。

 

さらなる市場機会としては、旧ゲーム世代が大人になっていることである。

彼らがゲーム売り場で目を輝かせていたことは、新たな市場機会である。

例えば、最近結婚した夫婦でも子供がいない家庭が多いが、

そのような家に子育て、ではないが、それを代替できる体験のゲーム需要はある。

ペットのようなゲームとでも言おうか。

もしくは夫婦のコミュニケーションとしてのゲーム。

夜、ワインを飲みながらゲームをする、や、映画の代わりにゲーム、など

色々な攻め方はあると思う。